今年で第50回目となるバックストン聖会が20日から22日の3日間、東京都渋谷区の日本基督教団渋谷教会で行われた。第1夜の集会で工藤弘雄・関西聖書神学校長は、エフェソの信徒への手紙2章1節から11節を本文に、「神の最高傑作品」と題して講演した。
工藤氏は、「神のかたちの回復にまで、私たちは救われ得る」と語り、すべてキリスト者は、「キリストの満ちみちた徳の高さにまで至る」(エフェソ4:13、口語訳)、「神の作品」(同2:10)となることができると強調。その「神の作品」が、▼どのような原材料でできるのか(同2:1〜3)、また、▼作られる工程はどのようなものであるのか(同2:4〜6)、そして▼作品はどのような目的で作られるのか(同2:7〜9)、という視点から本文を説いた。
工藤氏は、まず、神から離れた人間の姿について「聖書の記述はきわめて厳しい」と語り、バックストンであれキリスト者を含むすべての人間は、「ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子ら」(3)であり、「これが、神の最高けっさく品のかつての姿であることを覚えさせていただきたい」と話した。
そのうえで、「救いの源泉は、神のゆたかな憐れみ」と語り、「その救いの手段は大きな愛、イエス・キリストを通しての救いのみわざです」と強調。イエス・キリストの十字架について、「命のすべてを、私たちの救いのために放出してくださった」と説いた。
また、「キリストとともに」(5)と書かれていることを強調し、キリストとともに生かされ(コロサイ2:13)、キリストとともに死んで(同2:20)、キリストとともによみがえらされ(同3:1)、キリストとともに神のうちに隠され(同3:3)、キリストとともに栄光のうちに現われる(同4:4)という、イエス・キリストを信じるものに与えられる恵みの豊かさを解き明かした。
工藤氏は、人が神の作品とされる目的について、「キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すため」(エフェソ2:7、口語訳)と語り、「あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのです。信仰さえも神のたまもの。けっして行いによるのでない。誰も誇ることがないためです」と力を込めた。
最後に工藤氏は、「神の恵みの絶大な富を、確信をもって来るべき世に示すものでありたい」と会衆に訴えた。