詩篇93篇5節に「聖なることがあなたの家にはふさわしいのです。主よ、いつまでも」とあります。
聖なること、ホーリネスが、壮年の皆さんの家庭に、教会に、職場に必要とされます。
ホーリネスとは、聖霊に満たされて神を一筋に愛し、自分のように隣人を愛することです。全き愛、これこそ壮年の皆さんの必要とするホーリネスの恵みです。
一般の社会でいう壮年とは、30歳から50歳前半をさします。しかし、信仰の世界では高齢者の皆さんを含んで壮年部が成り立っています。
「彼らは年老いてもなお、身を実らせ、みずみずしく、おい茂っていましょう」詩篇92篇14節のように、年老いても、活気があり、生き生きとして若々しく、豊かに実を結びます。特に壮年の皆さんは、いままでに喪失経験をされたことでしょう。両親や妻や、子どもに先立たれ、愛する者を失う体験をされた方もおられるでしょう。
転勤に伴う、地位は上がっても友人、隣人を失う体験をされた方もいることでしょう。
思わぬ怪我、病気、入院、手術により、あんなに健康だったのにある日突然、自分に対する自信を失う経験もされたことがあるでしょう。
そのような対象喪失のときに主イエスにどのように助けられ、慰められましたか。みなに祈られ、励まされましたか。その証しが他の人々を励まし、慰めることができるのです。
主によって聖められた生活は、神に親しく祈ることが楽しくなります。主の再臨を待ち望み、教会のため、隣人のため、家族親族のために、とりなすことができます。
主によって愛に満たされた生活は、よい人間関係を生み出します。夫婦、親子、孫との関係もよくなり、互いに愛しあい、赦しあい、祈りあうようになります。現在家族関係がうまく行かない原因は、自分勝手で、聖めが不徹底だからです。
中田重治は、1917年(大正6年)「聖潔の友」に黒枠の死亡広告を出しました。これは21年前、27歳のときの、聖潔の証しでありました。「我キリストとともに十字架につけられたり」とガラテヤ2章20節、ローマ6章11節の心霊的体験であります。
壮年の皆さん、いつあなたは、神に用いていただくために自我に死にましたか。
信徒の心のうちに住みついている内的な罪とは、高ぶり、怒り、気むずかしさ、嫉妬心、恐れ等、キリストの心にそぐわない心の問題です。主に血によりきよめられ、聖協団の鈴木留蔵さんのように、「その人は何をしても栄える」と証しできる壮年とさせていただきましょう(詩篇1篇3節)。
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。