私が二十二歳の九月二十九日のことであった。名古屋一帯を伊勢湾台風が襲い、一晩のうちに五千人もの方の命が奪われた。貯木場の材木が回転して家を襲ったり、堤防が決壊して命を落とした方々も多かった。私の通っていた名古屋教会も天井まで水がついて、毛戸先生ご夫妻は、近くの小学校の二階に避難していることを、教会の屋根まで泳いで行って家主さんから聞いた。
私は新三菱重工株式会社に勤務し四年目のことであった。どうしても必要なのはお金であった。会社から見舞金でも出してくださったら教会の先生も水浸しになった教会員の方に差し上げることが出来るのにと思った。
高潮のため水浸しになった冷凍機の研究課で机の上に乗っていたのが、この『少女パレアナ』である。それも東京の本社の社長さんからの贈り物だという。後で分かったことであるが、社長さんはクリスチャンであった。正直に私は少女向きのこの本に読まないうちに失望した。見舞金でなく少女向きの本、私は昼休みに何もすることがないので手に取って読み始めたが、少女パレアナの生き方にひかれ、夢中で読み終えた。
パレアナの両親は牧師で、お母さんが先に亡くなり、お父さんから、喜びの遊びを教えられた。どんなことの中にも喜びを見いだしていく遊びである。間もなく牧師の父も亡くなった。叔母さんのところに預けられるが、叔母さんは気難しい、笑うことを忘れたような方であった。そこの屋根裏に住むようにされるが、そこでも喜びを見つけ、感謝をし、喜びを広げていくのである。パレアナの行くところ喜びの遊びが広げられていった。
私はお金が欲しいという気持ちを抱いていたのが恥ずかしくなった。この本を送ってくださったのはクリスチャンの社長の奥さんかも知れない。祈りを込めてくださったこの一冊の本は他の従業員にどんな影響を与えたかはわからない。
私はクリスチャンになって三年目、この本からこの台風の中も神に祈って乗り切る力を与えられた。不平、呟きから離れてどんな中でも喜びを見いだし、発見する者になりたいと思った。
台風の翌年三月に献身して、聖書学院に入学を許された。牧師になって、一番多く差し上げた本は、『少女パレアナ』である。悲しみに沈んでいる方が、絶望のどん底にある方が、感謝も喜びも見いだすことが出来なくなった方が手にして欲しい本である。
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。