2016年夏季五輪の開催地がリオデジャネイロに決まった。選考開始から絶えず熱いアピールを繰り出すリオ市民の姿は、メディアを通じて世界に知られていた。治安やインフラなど課題は多く、他の候補地に比べ、リオが特別優れていたわけではない。しかし、最後に勝利を手にしたのは彼らだった。リオが選考委員の心をつかむことが出来たのは、目に見えぬ未来に対する理念、可能性、情熱を心に抱き、誰よりも強く求めたからだと思えてならない。
神がひとつの祝福を用意されたとして、最後にそれを勝ち取るのは誰か。正しい心をもって誰よりも強く祈った者に祝福が注がれるとすれば、今までわたしはどれほどの祝福を逃してきたのだろう。求めよ、そうすれば与えられるであろう。神の言葉は、必ず到来する未来についての神とわたしたちとの約束だ。
誇れるものなど何もない、罪に汚れたわたしをも、神はご自身のご計画された日本の救いのために選び用いてくださる。この信仰をすべてのクリスチャンと共有したい。
神は既に日本のリバイバルという祝福を用意している。日本の救いを願っておられるからだ。それは神のご計画に従って、神が予め定めたときに注がれるのだろう。
だが、もしわたしたちが、それを1日でも1年でも早く注いでくださるようにと心をひとつにして祈るなら、神は聞いてくださらないだろうか。誰もが希望を失い易い危機の時代だからこそ、かつてないほど大きな祝福を誰よりも強く祈り求めたい。