おいしくなければ1位にはなれなかったと思う―ふと目にとまった。アメリカン・ポークの広告だ。日本への豚肉輸入量が4年連続で1位だったという。この広告が言いたいことは、「輸入量1位」という結果が「おいしい」という質の証明だということだろう。
同じようなことをイエスも言っている。「あなたがたは、その実で彼らを見分ける」(マタイ7:16)。何を結果とするべきか、あるいはいつ結果として判断するかは意見が分かれるかもしれないが、イエスははっきりと結果で良し悪しを見分けられると言っている。
結果主義と言えば弊害も多い。過程の軽視、個人主義の蔓延、目標の短期化、矮小化。しかし、だからと言ってイエスの言葉は無効にはならない。「茨(いばら)からぶどうが、あざみからいちじくが採れるだろうか」(同)確かに採れないのである。ブドウの種からは、ブドウの木が生え、ブドウの実がなるのである。
教会は天の国がこの世で実現されたようなところだと言うが、「天の国はからし種に似ている」(マタイ13:31)。「人がこれを取って畑に蒔けば、どんな種よりも小さいのに、成長するとどの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て枝に巣を作るほどの木になる」のである。
教会に発展があり、また多様な人が集える場となっているのか。はじめは小さい。しかしそのままではない。大きくなるのだ。しかし、そのままであれば、本当にからし種となっているのか、確認が必要ではないか。