主の祈りは全世界の幼子や識字率の低い地域でも、すべてのクリスチャンが祈ります。ミッションスクールではもちろんですが、キリスト教系の幼稚園や保育所、あらゆる施設でも祈られている、祈りのエキスです。
主の祈りは、時間的には普通30秒もあれば祈ることができます。しかし、その精神に従って祈れば、一時間でも二時間でも神との対話は続きます。聖霊のとりなしとイエス・キリストのお名前により、祈りの深みに導かれ、聖書の祝福を体験し続ける幸いに感謝しています。
主の祈りの精神をしっかり受け止めて、単に唱えるだけでなく、事あるごとに短い祈りで、多くの恵みを受けることができます。
それは、「主よ。助けください。アーメン」と言う祈りです。1〜2秒の祈り、口癖の祈りと呼んでも良いかもしれません。不思議に心が落ち着き、知恵が与えられ、物事の本質を見抜くこともでき、乗り切る力も与えられます。
問題があるからだけではなく、どんなときにもともにおられる聖霊の臨在を、口にする(あるいは心で言う)「主よ。助けください」の1秒が、大きな変化とチャレンジとなります。
統合失調症の苦しみの中から、イエス・キリストを信じバプテスマを受けてクリスチャンになった青年があります。「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」(ローマ10:13)との聖書の約束を信じました。「主よ。助けください」という祈りだけでした。
できそうもないことも多くありました。特に什一献金はかなり厳しく、困難でしたが、「主よ。お助けください」と祈り実行し始めました。不思議なことに体調も良くなり、精神的にも安定し、悪習慣もストップし、経済的にも守られ、輝くような笑顔で礼拝や集会を楽しみにしています。
イエス・キリストは約束されました。「またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう」(ヨハネ14:13‐14)
「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます」(マタイ7:7-8)
キリスト教信仰は、神の約束のことばを100パーセント信用して、その約束をアーメン(真実そのとおりほんとうです)と受取るだけです。
福音書の中に、イエス様が弟子たちを強いて舟に乗り込ませて、自分より先に向こう岸へ行かせた記事があります。ご自分は船に乗らず祈るために、ひとりで山に登られました。夕方になったが、まだそこに、ひとりでおられました。
ところが弟子たちの舟は、陸からもう何キロメートルも離れ、風が向かい風なので、波に悩まされていました。
すると、夜中の3時ごろ、イエス様は湖の上を歩いて、彼らのところに行かれ、弟子たちは、イエス様が湖の上を歩いておられるのを見て、「あれは幽霊だ」とおびえてしまい、恐ろしさのあまり、叫び声を上げました。
しかし、イエス様はすぐに彼らに話しかけ、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」と言われました。
するとペテロは、「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください」と頼みました。
イエス様が「来なさい」と言われたので、ペテロは舟から出て、水の上を歩いてイエスのほうに行きましが、風を見て恐くなり、沈みかけたので叫び出し、「主よ。助けてください」と叫びました。
するとイエス様は手を伸ばして、彼に手を伸ばし助け上げ、「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか」と言い、ふたりが舟に乗り移ると、風がやんだという奇跡が記されています。
どんなに短い祈りや叫びであっても、神は愛の手を伸ばし、助けてくださいます。ご自分の約束したとおりにお答えくださいます。素直に何事でも「主よ。助けください。アーメン」で乗り切ることができるのです。
今日もまた天国の一日です!ハレルヤと感謝しつつ、事あるごとに、「主よ。助けてください」と、沈まないうちに祈りの声を上げ、世界に変化をもたらしましょう。
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。