一九六六年六月の「祈の友」に鹿児島教会の紹介を私がしている。
NHKテレビの人気番組「おはなはん」に教会が生まれたのは昭和三十八年(一九六三年)の事である。昭和の初頭、桜島で知られる南の端、鹿児島のホーリネス教会にリバイバルの火の手があがった。その陰に、この地のために夜も寝ず、涙して祈り抜かれた田中いつの先生のお話は今なおよく聞かされ、励まされる。このリバイバルによって多くの人が救われ、その中から一宮教会の中島啓次郎先生、武蔵野教会の箱島秋子先生が献身された。
その後第二次世界大戦が起こり、教会は弾圧され、解散し、信者の方たちは皆散らされたが、二十年後の今日、母教会が失われたままに他教会で中心となって励んでいる方々も多い。このような所からこの地にもう一度祈りの群、再臨信仰の群をとの願いが起こり、数年前再び伝道が始められた。初めは水野清先生ご夫妻が下関から巡回して準備され、次いで友野喜久子先生(現在、藤波夫人)が九カ月奉仕された。時には礼拝に一人も来ないような所を涙を流して戦われ、祈りつつトラクト配布、戸別訪問等をして教会の土台を築かれた。その時から二階建二軒長屋の片方を借り、二階の四畳半二間で集会を持っている。その後まもなく東京の成増教会から、ご主人の転任によって三谷アイ姉、田中愛子姉が鹿児島に来られ、家庭を解放して集会を開かれ、個人伝道にも励まれて多くの方々を教会に導かれた。
その他、江上虎雄先生の妹さんの水原姉とそのご主人、中島啓次郎先生の弟さんの中島さんご夫妻も他の教会に属しておられるが、設立当時より現在に至るまで、あらゆる面で教会の力となっていてくださり感謝である。他教団の先生の温かなご理解があった。
友野先生の後、工藤が遣わされた三十九年六月、家主のお婆さん森姉が信仰を持ち第一号の受洗者となって三日目に召され、この集落で初めてのキリスト教葬を行い、よい証しがなされた。その記念にオルガンを求めた。その後同姉のお孫さんも受洗された。中風の悩みの中から救われた一人の姉妹や、一枚のトラクトから教会に導かれ、病気を癒され救われたご夫妻などが家庭を解放して集会を開いておられる。療養所からもイエス様を信じる方々が起こされている。
中高生、青年たちも導かれている。早天祈祷会も中高生、青年が交代に励んで続けられてきた。小さな祈りの手が挙げられてきて、その中から神の愛を知って献身する者も起こされた。
教会の宝である「ろばの子たち」(教会学校の生徒)は、学校から帰ると毎日教会を訪ね戸別のトラクト、ポスター書き、お使い等をして、自分の家のように手伝っていく。十数名の教会員が互いに祈りあい、愛しあって一人一人が小さな伝道者となって奉仕に励んでいる。この四月からは長内先生がバトンを受け継いで戦っていてくださる。多少閉鎖的な気風もあるが、牧師や先生を大変大事にするところである。ヨカ・ニセドン牧師(良い青年牧師)により、ニセドンやオゴジョ(青年男女)がガッツイ、ズンバイ(本当にたくさん)救われるように、そして早く独立した会堂が与えられ、思い切り大きな声で祈れるようにと祈っている。
工藤公敏(くどう・きみとし):1937年、長野県大町市平野口に生まれる。キリスト兄弟団聖書学院、ルサー・ライス大学院日本校卒業。キリスト兄弟団聖書学院元院長。現在、キリスト兄弟団目黒教会牧師、再臨待望同志会会長、目黒区保護司。