16.人生の四大苦(2)病
病気は嫌です。でも、表面的に病気になっていても、聖書によると、真実は病気が治っているのです。あの鞭でむごたらしく打たれたイエスの傷によって、完全に治っているのです。「イエスが私のすべての病いをその身に負ってくださった。だから、もう治っているのだ、大丈夫だ」。治らないで亡くなる方もおられます。けれども、「いや、自分は症状はあるけれども、本当は病気じゃないんだ」という思いで生きていけるわけです。もちろん、天国へ行ったら、病気も悪い症状もない完全な健康体になるわけです。
ヘレン・ケラーは、目が見えない、耳が聴こえない、口でしゃべれない、という三重苦で悩みました。しかし、彼女はあるとき神のビジョンを見たのです。「天国における自分の姿は、完全な健康体である」というビジョンを。もっとも若々しい、もっとも美しい、すばらしい栄光に輝いている自分の姿を幻で見て、「あっ、私は今こういうハンデがあるけれども、この地上の制約が解かれたら、完全な健康体なんだ」という真理に目覚めたのです。ですから、あなたは病気になっても、あなたの真の姿は完全な健康体なのだという希望があります。
17.人生の四大苦(3)老
それから、三番目に苦しいことは、年を取ること。年を取るということは嫌なことです。だんだん老化して、死に近づいていく。私もかつては、とても嫌でした。私、実は還暦を過ぎたのです。還暦なんて、考えてもいませんでした。いつまでも青年のつもりなのに、あっという間におじいさんになってしまいました。
でも、イエスを信じる者にとって年を取るということは、天国に近づいているということなのです。そう思うと嬉しいです。あと何年この世で生きるかわかりませんが、天国がだんだん近づいている。早く行きたい。わくわくする。今はそんな明るい希望でいっぱいです。
映画「パッション」のチラシを配っていて、あまりに疲れて、ある時、サタン(悪魔)の声が聞こえたのです。「お前、何やってるんだ。いい年をして、弁護士が映画のチラシを配っている。バカじゃないか。こんなチラシを見て、映画を観にいくやつは一人もいないよ。ポスティングなんか無駄なことだからやめろ!」。そういう思いがしたのです。疲れていましたから、「うん、そうか。それもそうだ」と正気に戻ったような気持ちで、がっくりしました。
ところが次の瞬間、神の愛が「うぁーっ!」と、心の底からこみあげてきたのです。神の声が聞こえました。「あなたは人々のために良いことをやっているんだ。私のために良いことをやっているんだ。だから、あなたはこれを続けなさい。やめてはいけない。その報いははなはだ大きいんだよ」。その瞬間に、天国にのぼったような気持ちになれたのです。
「ああ、気持ちがいい。もう死んでもいい。地上の生活に思い残すことは何もない」。家族や愛する人たちは残されますが、「イエスさま、では、私の家族や私の愛する人たちをよろしくお願いします」「仕事も中途半端ですが、イエスさまに全部お任せします、天国へ行ったら楽ですから、どうかこのまま行かせてください」。完全に解放され、「うれしくて、うれしくて、仕方がない」気分でした。「天国って本当にあるんだ。こんな私でも行けるんだ。早く行きたい!」。その時からそう思うようになりました。だから年を取るのが怖くない。かえって、とても楽しいのです。(次回に続く)
佐々木満男(ささき・みつお):国際弁護士。宇宙開発、M&A、特許紛争、独禁法事件などなどさまざまな国際的ビジネスにかかわる法律問題に取り組む。また、顧問会社・顧問団体の役員を兼任する。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。このコラムでは、2004年11月6日のインターナショナルVIPクラブ広島特別講演会での講演録を再構成し、一部加筆したものを紹介する。