「朝食です。ヨハネ先生がお待ちです」。ヨハネの集団は朝食をともにした。いつも同じ食べ物であった。主食はいなごまめで作られたスープであったが、それは水分が少なくペースト状に調理されたもので飲むというより食べるといったほうが適切だろう。いなごまめは最も安く手に入り、決しておいしいものではなかったが滋養に富んでいた。小麦はぜいたくと考えられ、パンはテーブルに上ることはなかった。毎回テーブルに上った乾燥されたなつめやし(デイツ)は蜜のように甘く栄養価の高いものだったし、保存がきいた。人々がヨハネ集団はいなごと野蜜を食べている、とうわさしたほどお決まりの食事であった。
しかし、この朝は別だった。パンと葡萄酒がテーブルの真ん中に置かれていた。ワインが修道所に持ち込まれたのは、これがはじめてであった。ナジル人ヨハネは生まれてから今まで一度もワインを飲んだことがなかったばかりか、ぶどうも干しぶどうも口にしたことがなかった。
ヨハネは弟子たちを30キロほど南に所在するエンゲディに行かせ、この日のために農夫からパンとぶどう酒を購入させたのであった。
ヨハネはあぐらをかいて坐している弟子たちに「今日は特別な朝だ。イエスが3日間の眠りから目を覚ましたのだ、パンとワインを添えて祝おうではないか」と語った。祝うといってもパーティをするというのではなく儀式を行うという意味だった。
ヨハネは器にワインを注ぎ、輪になって坐している弟子たちをめぐりながら器を差し出したのだが、器を手に取った弟子たちはほんの一口だけ口にふくんだのである。手渡すたびに、ヨハネは「とって飲め。お前たちの罪を赦す過ぎ越しの血だ」、ちぎられた一かけらのパンを与える時には「食べよ。神のいのちだ」と言った。
一かけらのパンと一口のワインでも、弟子にとってはごちそうであり、香ばしい香りは気分を高め、その味わいは口いっぱいに広がった。それらがのどを通過した時、神のいのちそのものがからだに注がれていくように実感した。
最後にイエスの番にきた、器を手に取ろうと両手を差し出したが、その瞬間時間が止まった。イエスの手を見たヨハネの身体は金縛りにあったかのように固まった。イエス自身の驚きもヨハネに劣るものではなく、電撃が体全体を貫いたようだった。その手の平には、くっきりと大きなあざができていたのだ。太い釘が刺し貫いたようなあざであった。ヨハネとイエスは見つめあった。二人の目は互いに「これはいったい何だ」と尋ねていた。その意味を探り合っていた。数分身動きせずに見つめあった時間は永遠のようでありまた一瞬のようであった。天からの啓示は二人に同時にもたらされた。ことばが一言もかわされないのに、二人の悟りが完全に合致していたことを知った。(次回につづく)
平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。