わが家のかわいい雌犬にも、発情期がきた。いつものおとなしさにくらべると、狂気の沙汰の振る舞いだ。
私自身の性に目覚めたころを思いだした。暗い戦時下の中学生だった。ある日突然異性の存在に気がついた。ああ、世の中にこんなに美しいものがあったのか!というのが実感だった。しかし間もなく敗戦になり、その罪の意識もあって入信してしまった。おかげでたいした武勇伝もなしに生きてきてしまった。
しかし、それだからといって若い日の欲情のはげしさを知らないわけではない。ずいぶん悩みもし、苦しみもした。だからいまの若い人をかわいそうに思う。こんなに刺激の強い時代に生きていかなければならないのだ。
「あなたは御しがたい若いらくだであって、その道を行きつもどりつする。あなたは荒野に慣れた野の雌ろばである、その欲情のために風にあえぐ。その欲情をだれがとどめることができようか」(エレミヤ二・二三-二四)
欲情に狂った若いらくだ、若い雌ろばにたとえるのは失礼だろうか。でも私は信じたい。
「若い人はどうしておのが道を清く保つことができるでしょうか。み言葉にしたがって、それを守るよりほかにありません」(詩篇一一九・九)
(恵みの雨 1981年8月号掲載)
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植竹利侑(うえたけ としゆき):広島キリスト教会牧師。1931年、東京生まれ。東京聖書神学院、ヘブンリーピープル神学大学卒業。1962年から2001年まで広島刑務所教誨師。1993年、矯正事業貢献のため藍綬褒章受賞。1994年、特別養護老人ホーム「輝き」創設。著書に、「受難週のキリスト」(1981年、教会新報社)、「劣等生大歓迎」(1989年、新生運動)、「現代つじ説法」(1990年、新生宣教団)、「十字架のキリスト」(1992年、新生運動)、「十字架のことば」(1993年、マルコーシュ・パブリケーション)。