病院の不正経理事件が社会面をにぎわしたのはついこの間なのに、最近はまた学園の不正問題が次々と摘発されている。早稲田大学商学部の不正事件はまったくあいた口がふさがらない。これじゃあ真面目に勉強した者はたまらないだろう。
しかし、こうした事件を聞いても、大方の人はそんなに驚いたりはしない。
「そんなこと、どこでもやってんじゃないの。見つかったのがドジなのよ」といったところだ。
事実、一罰百戒というが、以来、保険請求の総額がぐんと減ったというし、心ある人は自分からすすんで不正入試を親に問いただし、自ら申し出たという報道も聞いた。一つの不正が発覚するということは、背後に無数の事実がある、ということなのだ。人間のいるところ、不正のないところはない。
人のことではない。ほんとうにただの十円もごまかしたことはない、一度もカンニングをしたことはない、収入を隠して申告しなかったことはありませんと言える人が何人いるだろうか。
主は私たちにも、「あなたの会計報告を出しなさい」(ルカ十六・二)とかならず言われる。心したいものである。
(恵みの雨 1981年6月号掲載)
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植竹利侑(うえたけ としゆき):広島キリスト教会牧師。1931年、東京生まれ。東京聖書神学院、ヘブンリーピープル神学大学卒業。1962年から2001年まで広島刑務所教誨師。1993年、矯正事業貢献のため藍綬褒章受賞。1994年、特別養護老人ホーム「輝き」創設。著書に、「受難週のキリスト」(1981年、教会新報社)、「劣等生大歓迎」(1989年、新生運動)、「現代つじ説法」(1990年、新生宣教団)、「十字架のキリスト」(1992年、新生運動)、「十字架のことば」(1993年、マルコーシュ・パブリケーション)。