歴代誌でカタカナだらけの系図の中、ヤベツ(4:9〜10)に出会うとはっとすると同時に、その祈りに驚かされます。彼はイスラエルの神に呼ばわり、4つのことを求めています。
(1)私を大いに祝福してください。
(2)私の地境を広げてください。
(3)あなたの御手が私とともにあってください。
(4)災いから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてください。
最初にヤベツに出会った時、何とあつかましい自分中心の祈りだと思いました。私を・・・・私をと4回も繰り返しています。しかしその祈りの箇所で聖書は、「そこで神は彼の願ったことをかなえられた」(10)と記しています。大いなることを神に求めてよいのだと、確信が与えられました。
数年前、歯医者へ行き治療が終わると応接室に招かれ、「祈っても答えられないのはなぜですか」と質問されました。
ためらうことなく、「疑いながら祈るからです」と答えると、「そのとおりですね。ではどうしたら疑わないで祈ることができるのですか」と2番目の問い。
「そうですね。イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。と祈ったら疑いや恐れが来る前に、ありがとうございます。答えられました。感謝しますと先取りで告白すればいいですね」と答えました。
治療の帰り道、「私を大いに祝福して下さい。アーメン。ありがとうございます。大いに祝福されました。感謝します」「私の地境を広げてください。アーメン。ありがとうございます。私の地境は広がりました。感謝します」「あなたの御手が私とともにあってください。アーメン。ありがとうございます。あなたの御手が私とともにありました。感謝します」「災いから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてください。アーメン。ありがとうございます。災いから遠ざけて私が苦しむことのないようにしてくださいました。感謝します」と祈りました。
当たり前のことですが、神の約束のことばは生きていて力があります。その約束のみことばに素直に応答することこそ、信仰生活の真骨頂です。どのような祈り願いをしても、必ず「ありがとうございます。答えられました。感謝します」と、率直に告白し始めると、思い煩うことなく重荷を主に委ねて平安になります。
歯科医の国家試験を受けた医学生から相談を受けました。「イエス・キリストのお名前によって合格させてください。アーメン。ありがとうございます。合格しました。感謝します」と祈るよう勧めたところ、素直に毎日祈っていました。
ある日電話が来て、「そう祈っていても合格していなかったらどうするのですか」と質問されました。「その時はその時です」と答えると、「そうですね。まだどうなるか分からないのに、心配してもどうにもなりませんね。その時はその時ですね」との返事でした。幸い合格して今は歯科医として活躍し、夕刊紙のコラムを書くほどになっています。
祈りをするとき、願ったとおりに答えが来ないときもあります。その時はその時ですと、神に信頼して委ねて祈り続けると、願いをはるかに越えた答えが備えられていることに驚くことはしばしばです。
生きていて力がある神のことばに信頼して、単純率直に祈りをする幸いを感謝します。勇気を持って祈り続け、30秒の祈りで世界が変わる恵みを体験したいものです。
どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。(エペソ人への手紙3:20〜21)
榮義之(さかえ・よしゆき)
1941年鹿児島県西之表市(種子島)生まれ。生駒聖書学院院長。現在、35年以上続いている朝日放送のラジオ番組「希望の声」(1008khz、毎週水曜日朝4:35放送)、8つの教会の主任牧師、アフリカ・ケニアでの孤児支援など幅広い宣教活動を展開している。