・・・あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。・・・それは、私たちのすべての罪を赦し、・・・私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(コロサイ人への手紙2章8節〜15節)
私たちは本当の神に目を向けて祝福されるものでありたいと思います。神を土台とし、神に由来し、神の愛と救いの御業を土台とした、恵み、祝福を私たちはいただいていることをはっきりと意識しましょう。
あなたに与えられたイエス・キリストにある信仰は、神の御業を体験する力強い信仰であることを、もう一度つかみ取って欲しいのです。あなたの小さな心の枠組みから、信仰を解放して下さい。そうすれば、神の恵みがあなたの心の中にも、生活の中にも、必ず与えられます。
今日の聖書個所には、私たちの信仰が、神から与えられた本当に力強いものであるということが語られています。
1.人間の持つ限界を突破する
人間である限り逃れることのできない宿命は、必ず終わりがあり限界があるということです。しかし、主イエス・キリストにあるこの信仰は、人間の限界を突破するものです。なぜならそれは11節にあるように、人の手によらず神によるものだからです。
弱い私たちは、人の欠点は指摘してすぐに裁くことができますが、自分の心の中にある明らかな問題点を認めても変えることができません。人にとって一番難しいことは、他でもない自分自身を変えることです。
しかし、そんな私たちのために、人の手によらない救いの道が開かれました。それがイエスの十字架です。
イエスは人間から理解されることなく、全ての人から見捨てられ十字架につかれました。それは、イエスの十字架の御業が、100%神ご自身の愛であり続けるためでした。
人の手ではできない救いをイエスは成就して下さったのです。人にはできないことを神はして下さいます。これがイエスの十字架によって私たちに与えられている約束です。
2.神の命による新しい事実
12節には、「キリストとともによみがえらされた」と過去形で語られています。それは、すでに起こった事実だということを確認するためです。すでに実現しているのです。
私たちは死んで新しい命に生きているのです。クリスチャンとして歩み始めている私たちは、今までの弱い罪びとであったときの人生とは違う新しい人生が動き始めており、古いあなたでは描くことのできなかった大きな夢や、力強いビジョンを持って生きていくことができるのです。せっかくイエスと共に古い自分は葬られ、イエス・キリストにあってよみがえりの命が与えられているにもかかわらず、古いままの罪びととしての生き方を続けてはいけません。
ガリラヤの無名の漁師であったペテロたちが、イエスと出会い世界の歴史まで変えるキリストの使徒として用いられ、厳格な律法主義の石頭であったパウロが、キリストの愛を世界中に伝えていく伝道者として用いられたではありませんか。
あなたには、さまざまな神からの御思い、夢に溢れる人生があるのです。もう一度そのことを思い起こしましょう。
3.勝利と祝福の前進
13節の「キリストとともに生かして下さいました」とは、私たちを縛っていた罪の力や、悪の縄目から解放されるということです。
パウロは、これを私たちの借金にたとえ、神は日々私たちを責め立てる債務証書を、キリストの十字架に釘付けにして、私たちを解放して下さったと語ります。
そればかりではなく、この世にある全ての支配と権威の武装を解除し、キリストが先頭を歩かれる神の勝利の凱旋の行列に加えられるという勝利のイメージで表現しています。これが、自由と勝利に満ちた、祝福されていく信仰者の持つべき力強さのイメージです。
私たちは、恐れ退いて滅びるものではなく、信じて命を保つものです。クリスチャンには負け犬根性は似合いません。クリスチャンは、やっとこさ生きているものではなく、必ず勝利します。
あなたが一言祈ることによって、聖霊の力があなたを取り巻く日々の生活の隅々にまで変化を起こします。仕事も家庭生活も経済的なことも、子育てや人間関係についても、全ての状況が、祝福と勝利に向かって日々刻々と確実に変えられてゆきます。
くよくよ後悔し、嘆き続ける人間的な限界は神の愛によって突破していただき、勝利のイメージを持ちましょう。そして、祝福と恵みの夏にしていただきましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。