私は終戦後間もなく、十六歳のとき、イエス・キリストに出会った。それはもう言葉にも筆にもあらわせない感動であり、人生の大変革であり、革命であった。人生観が変わり、価値観が変わり、ありとあらゆるものが変わった。人生の意味と目的がわかり、自己存在の根源がわかって喜びが湧きあがり、愛が心にあふれた。
しかしある日、あまり好きになれなかったひとりの友人を、牧師がほめるのを聞いたとき、嫉妬の炎が燃え上がるのを感じて愕然とした。神の救いを信じていても自己の本質が変わっていないことがわかったからである。
そのときから深刻な自我との戦いが始まった。
よく考えてみれば妬みばかりか憎しみもあり、悪意さえ抱く。金もほしい、恋人もほしい、人にはよく思われたい、身も飾りたい、人並みの欲望はみんなあるのに気がついた。そこでなんとか清くなりたいと身を粉にして奉仕もし、伝道もした。神学校へ行ったら自我を殺すことができるかもしれぬと思って、家出までして神学校へ行った。しかし、苦行や努力では自我は死ななかった。
自我との戦いに疲れはて、泣いて叫んで一週間たった十七歳の秋の日のこと、「わたしは死んだ」という、あざやかな経験をさせていただいた。それは「わたしはキリストとともに十字架につけられた。生きているのは、もはやわたしではない。キリストがわたしのうちに生きておられるのである」という、あの使徒パウロの経験と同じものであったと信じている。
以来三十余年、私は自我の問題で悩むことがなくなった。妬む、憎む、人をさばく、悪意を持つ、腹を立てる、不機嫌になる、ということがない。そのため人に軽く見られ、バカにされ、裏切られることが多いが、べつにつらいとは思わない。むしろ譲ったり損をしたり、だまされたりバカにされたりすることが好きになった。怒ったりやっつけたりするよりは、ゆるしたり愛したりするほうがずっと楽だ。それどころか、いつでも失った以上のものがかならず返ってくる。神からも人からも返ってくる。
だからいまでも、私の生活信条は変わらない。自分のいのちを得ようとする者はそれを失い、かえって失おうとする者は必ず得る!死んだ者は生きる!
いずれも聖書のことばである。
(中国新聞 1982年1月26日掲載)
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植竹利侑(うえたけ としゆき):広島キリスト教会牧師。1931年、東京生まれ。東京聖書神学院、ヘブンリーピープル神学大学卒業。1962年から2001年まで広島刑務所教誨師。1993年、矯正事業貢献のため藍綬褒章受賞。1994年、特別養護老人ホーム「輝き」創設。著書に、「受難週のキリスト」(1981年、教会新報社)、「劣等生大歓迎」(1989年、新生運動)、「現代つじ説法」(1990年、新生宣教団)、「十字架のキリスト」(1992年、新生運動)、「十字架のことば」(1993年、マルコーシュ・パブリケーション)。