現代この日本に住んでいる我々には気がつかないのだが、外国から友達が来ると指摘されることがある。我々日本人の表情が重い荷物と苦痛を運んでいるように見えるということだ。とくに我々の無表情な顔が気になるらしい。幸福や喜びが感じられないというのだ。疲れきっているというのだ。
日本は前代未聞の健康ブームの中だが、病気になる人は増え、心の病気になる人は歯止めがかからないほど急増している。また、自殺者があとをたたない。政治と経済の病気は国際的スケールに広がり、日本はその原因でもあるし、また巻き込まれてもいる。現代にも、この地球に悪の諸勢力が激しく働いており、それが人間社会にも個人にも強い影響を与えている、と思う。
当時のイスラエルがそうであったように、日本も病んだ時代を迎えていると言えるだろう。こんなことは私が言わなくても、多くの人々はすでに知っており、実感していることだろう。
私たちは当時のイスラエルのようにいやしを必要としている。からだと心、またより深くにある人間存在の根底に働くいやしの力を必要としているのだ。
さて、イエスの働きに話をもどそう。
どうしても、ガリラヤ湖について説明しておかなければならない。イエスが伝道者として登場したのがガリラヤ湖畔であったし、イエスの大半の宣教活動はガリラヤ地方で展開されたからだ。ローマ人はティベリヤ湖と呼び、竪琴の形に似ていることからキンネレテ湖とも呼ばれたガリラヤ湖は南北20キロ、東西11キロの大きな湖であったが、水深は、最も深いところで45メートルしかない。この湖は大切な水と魚を人々に供給し、その美しさのために人々から愛された。イエスはこの湖をこよなく愛した。当時、港が15あったのだが、12人ほど乗れる舟を利用するとガリラヤ湖周辺の町や村に行くのにあまり時間を要しなかった。福音書にはイエスが舟に乗り込まれた記録が20回もある。
イエスは湖畔の町カペナウムを宣教の中心点として活動したが、対岸にゲラサと呼ばれる小さな地域があり、そこに住む人々はゲラサ人と呼ばれた。その区域が特殊であったのは、そこではユダヤ人が忌み嫌う豚を飼う人々が住んでいたからだ。ユダヤ人にとっては豚の需要は皆無であったが、ゲラサ人が自ら食べたのと、ユダヤにいたローマ人やその他の異邦人に求められていたのだ。ユダヤ人たちは、決してゲラサ地域には行かなかった。豚がいる場所には一歩たりとも近づかなかったのだ。
イエス自身もゲサラに行ったと福音書に記録されているのは一度だけである。おそらく、一度だけしか行かなかったのであろう。一度は行っただけでも、それはユダヤ人には奇妙だった。ユダヤ人が忌み嫌うゲラサに行ったことは、イエスが当時の風習に囚われていなかった証しだ。(ちなみに、ユダヤ人は今日でも豚を決して食べない。)そこで何が待ち構えていたかを、イエスは感知していたようだ。そこで起こったできごとの記録を理性的に理解することはむずかしい。ただ、そのまま読んでみよう。
弟子たちと共に舟で渡ったのだが、イエスが舟から上がると、汚れた霊に憑かれた男が墓場から出てきた。彼はイエスを遠くから見つけて駆け寄ってきて、イエスのもとにひざまずいた。
墓場に住み着いたこの男の状態は悲惨であった。むっつりと表情がなく一人閉じこもりがちなのだが、悪霊の影響が現れると兇暴になり、そのうえ叫び始めるので手がつけられないのだ。それで、数人の男たちが彼を墓場に足かせと鎖でつないでいたが、異常な力が出ると、足かせを砕き、鎖を引きちぎってしまうのだ。何度か彼をつないだのだが、つないでおくことができず、あきらめて放っておくしかなかった。彼も人々を避けて、墓場を住みかとするようになったのだが、夜昼となく、墓場や山で叫び続けていた。また、石で自分のからだを傷つけていたのだ。
彼に乗り移っていた悪霊の名はレギオンと言ったが、レギオンとは大軍団つまり大勢という意味だから、複数の悪霊にとりつかれたのだ。彼は圧倒的な悪霊の力でその心もからだも振り回されていたが、しかし悪霊によって完全に支配されていたわけではなかった。彼のちぐはぐな行動がそれを示している。
叫んだり、鎖や足かせを引きちぎったり、自分のからだを傷つけたりしたが、他方イエスを見つけて駆け寄り、イエスの足もとにひざまずいている。分裂しているのだ。しかし、彼のちぐはぐな行動こそ、悪霊の支配は完全ではなく、それゆえ希望があることのしるしなのだ。
ここで、イエスと悪霊の対決が起こる。しかし、対決と呼べるものではない。対決する前に、悪霊は敗北を認めているからだ。悪霊はイエスに向かって大声で叫んで言った。「いと高き神の子イエスよ。いったい私に何をしようというのか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでくれ。」このことばから、悪霊はイエスをいと高き神の子であることと、悪霊に対して権威と力をもっていることを認めたことがわかる。イエスはすかさず、「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言うと、出て行った。イエスはこの男を苦しめていた悪霊を追放したのだ。
人々は何事が起ったのかとやってきた。そして、悪霊レギオンを宿していた男が、着物を着て、正気になってすわっているのを見て、驚きまた恐ろしくなった。
悪霊から解放された男は、自分の家、自分の家族のところへ帰り、「イエスが、どんなにおおきなことをして下さったか」をデカポリス地方一帯に(ゲラサはデカポリスの一地方だが13の町があった)言い広めたのだ。
悪霊につかれたときの、この男の状態を再度観察し、調べてみよう。今日の私たちの状況からそれほど違わないことがわかるだろう。
まず、社会生活ができなかった。家族と社会で機能しなかっただけではなく、人々が集まるところでは、精神的な傷を受けたり、縛りつけられてしまうのだ。彼の存在は社会の重荷であり、社会は彼にとって苦痛の種であった。だから、むしろ彼は人里離れた墓場にとじこもったのだ。彼は耐えがたいほど寂しく、人との触れ合いを欲したが、人々のいるところでは寂しさ以上に耐えがたいものを感じた。また、自分のからだを傷つけていたことは、この男の中に潜んでいた自殺願望を示唆している。このように観察をすると、悪霊につかれたゲサラ人と日本中に蔓延している精神状態にはあまりへだたりがない。
彼のいやされた状態を観察してみよう。まず、彼は正気にもどった。次に、家族に帰ったこと、つまり基本的な人間関係に帰り、社会復帰の糸口をつかんだことだ。その上、生きることの新しい意味を見出した。それは、主なる神が彼に大いなる奇跡を行ってくださったことを伝えることだ。人を避けて生きて来たこの男は、進んで人ごみの中へ出て行って、自分がかつて悪霊に憑かれた凶暴な男であったことを話した。新しく変えられたのだ。悪霊に苦しめられていたのは、すでに過去であった。自分がまったく変貌させられたことは疑いの余地もないほど明らかだった。それゆえ、悪霊に憑かれた過去を隠す必要もなかったのだ。
イエスがしたことは、悪霊を追放しただけではなく、彼を本来の自分に、そしてあるべき人間の姿にかえしてあげたことだ。この男がいやしによって受けたものは、実に彼自身であった。彼は、イエスによって本来の自分を見出すことができた。 (次回につづく)
平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。