7.信じる力
それでは、問題を具体的に解決するにはどうしたらよいのか。これからお話ししますが、結論は、全能の神です。あるいは全知の神。全知全能の神の知恵と能力をいただいて、それを使えばよい。では、どのようにしたら神の知恵と力をいただけるのでしょうか。
まず、神にできないことは何もない。オールマイティというのはそういう意味です。神にはなんでもできる。無から有を創ってしまうわけですから、すごいですよ。あの小さな遺伝子一つとって見ても、その中には宇宙のような大きな世界があるのです。それほど緻密(ちみつ)であると同時に壮大でもある。そのようなものを造った神にできないことは何もない。
それはまあ、子どもでも分かります。では、私はどうなのでしょうか。この私は。「すぐつまずいて、転んでしまうこの弱い私には、とてもできません!」、こう言って逃げてしまうわけですが、そうはいかないのです。聖書には、「本気で神を信じたら、あなたにはどんなことでもできるんだ!」と書いてあるわけですから。「この弱い私でも、神を信じたらどんなことでもできるんだ」ということです。
ひと言でいいますと、「信じる」ということです。「信じる力」です。要するに、「あなたの信じたとおりになる」というのが信仰です。信じたとおりになる。本当に確信をもって信じたら、それは信じたとおりに実現するということです。これは私が言っているのではありません。全部、聖書を通して神があなたにそう語っているのです。
「からし種一粒の信仰があれば、目の前にある山に向かって『動いて移れ!』と言えば移るのだ」
こう書いてあるのです。「そのように、あなたがたにできないことは何もないであろう」。これはイエスの言葉です。絶対に嘘をおっしゃらないイエス・キリストが、そうおっしゃっているわけですから、本当は私たちにできないことは何もない。からし種一粒の信仰があれば、目の前にある山に向かって「動いて海に入れ!」と言って、疑わないで信じるならそうなるのだ。すごいですね。信じることです。信じるだけでいいのです。
それでは皆さん、信者ってなんでしょうか。その前に信じる、この「信」という字は、よくできていると思うのです。人偏(にんべん)に言(ことば)ですね。人偏は人のことです。言は神の言。
「神の言(ことば)と人が一体になっているということが、『信』じるということ」
神は本来、目には見えないお方ですが、その見えないお方の思い(意志)が見える形で表現されたのが聖書の神の言(ことば)なのです。ですから、聖書に書れている神の言は、神ご自身なのです。
神の言を人が信じる。「人」と「言」が一体となる。しかも人偏ですから、ちょっと人は遠慮してですね、言が主なのです。人は傍にくっついているのです。だから、「神の言を人が信じる。神の言をそのまま素直に受け入れて100%信じる」ということが、真の意味で「信じる」ということです。
それでは、神の言を信じた人はどうですか。信者とは何でしょうか。皆さんは信者ですか。神の言、聖書の言を、そのまま、「アーメン」と言って心に受け入れる。「アーメン」とは、「そうです」という意味です。神の言を、そのまま心に受け入れて信じた人。
ことばってよくできてます。「信」と「者」をくっつけると「儲」になります。だから信者は儲かってしまう。とにかく儲かる。なぜでしょうか。
(次回へ続く)
佐々木満男(ささき・みつお):国際弁護士。宇宙開発、M&A、特許紛争、独禁法事件などなどさまざまな国際的ビジネスにかかわる法律問題に取り組む。また、顧問会社・顧問団体の役員を兼任する。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。このコラムでは、2004年11月6日のインターナショナルVIPクラブ広島特別講演会での講演録を再構成し、一部加筆したものを紹介する。