序文:His Name Is Jesus〜日本人が知らない最も有名な国際人〜
ある者は教師と呼び、ある者は羊飼いと呼び、ある者は主と呼んだ。ある者はヒーラーと呼び、ある者は医者と呼び、ある者は悪霊追放者と呼んだ。ある者は預言者と呼び、祭司と呼び、王と呼んだ。
ある者は大酒のみの食いしん坊と呼び、ある者は気が狂った者と呼び、ある者は悪霊の頭ベルゼブルと呼んだ。ある者は人をだます者と呼び、ある者は扇動者と呼び、ある者は革命家と呼んだ。
ある者はメシヤと呼び、ある者は甦えりし者と呼び、ある者は聖霊のバプタイザーと呼んだ。彼こそ他に追従を許さぬ人類歴上最も有名な国際人である。His Name Is Jesus.彼の名はイエスだ。Who Is Jesus? イエスとはだれなのか。
「ペテロのしゅうとめが熱でうなされています。祈ってください。」このことばを耳にしたイエスは、彼女に近寄り、床の前にひざまずき、その手を取って起こすと、すぐに熱がひいた。彼女はそれまで熱病で苦しんでいたことがうそであるかのように、さっさと動き始め、食事を作ってイエスとその仲間をもてなした。当時、熱行はきわめて危険な病気でいのちを失う者もいたのだ。癒しを目撃した家族の者たちはあっけにとられた。
病気をいやしたのは、イエスにとってこれがはじめてであった。家の中で行われた熱病のいやしそのものは派手な奇跡ではなかった。しかし、この出来事は、これから起ころうとしている人類史における最も偉大な奇跡物語の糸口であった。このいやしによって、何よりもイエスの内面に大いなる変化が起こり始めたのだ。ヒーラーとしての自意識が生まれようとしていた。自分に対して新しいイメージが生み出されようとしていた。
この時点で、イエスは自分に何が起こっているのか、まだはっきり把握していなかった。このようないやしの奇跡はそれまで一度も行ったことはなかったのだ。この力が主なる神からきていたことは明白だったし、いやしに用いられることを予期しなかったわけではなかったが、実際自分によって奇跡が起こったとき、イエスは驚きを感じざるをえなかった。
実は、その朝にも不思議なことが起こったのだ。安息日(ユダヤ人の礼拝日:金曜の夕から土曜の夕まで)にシナゴグ(会堂:集会する建物)で教えていたとき、汚れた悪の霊につかれた男が突然叫び始めた。
「ナザレの人イエス。いったい私たちに何をしようというのか。あなたは私たちを滅ぼしにきたのだろう。あなたのことは知っている。神の聖者だ。」
こんな出来事は自分に起こったことがなければ見たこともなかった。神の聖者と呼ばれたことも初めてであった。
その場にいた悪霊の存在をイエスは気がつかなかったようだ。むしろ悪霊のほうが先に、イエスは特別な存在者であることを認め、「悪霊を滅ぼすために来た神の聖者」と見抜き、チャレンジしてきたのだ。すぐさまイエスは大声をあげて悪霊をしかりつけ、命令をくだした。「黙れ。この人から出て行け」力つよい声が会堂のすみずみまでこだました。するとその男の全身は激しいけいれんでガタガタ震えたが、悪霊は大声ですさまじい叫び声をあげながら、その人から出て行った。次の瞬間、この男は正常になった。
そこにいた人々の驚きを想像できるだろうか。口々に声を上げ「すごい悪霊の叫びだ」、「悪霊に命令する人がいた」「こんなことは見たことない。汚れた霊さえ従うとは。」と夢中になって語り合った。
こんなことを見たことがないのは、イエスも同じだった。それまで、悪霊がイエスを特別な存在として認めたことはなかった。まして、悪霊を追い出すことなどイエスが試したことは一度もなかった。
一人静かになった時、イエスはこの出来事を思い返しながら自問した。どうして自分はとっさに悪霊をしかりつけたのだろう。自分の口から飛び出したことば「黙れ。この人から出て行け。」はどこから来たのだろう。今まで決して使ったこともなければ考えたことすらなかった。どこかで誰かから聞いたわけでもなかった。悪霊追放を練習して思い付いたことばでもなかった。それまで、イエスは命令口調で語ったり、叫んだりすることはなかったのだ。それらは、突然、思いがけなく口をついて出てきたことばだった。そして、イエスには、自分がそのように語り、ふるまったことも不思議だった。今までとはあまりにも違う自分がそこにいた。
イエスが自ら進んで悪霊を追い出し、ペテロのしゅうとめをいやしたわけではない。それまで、自分からそのような力が出てきたことはないし、そのような力をもっていることも知らなかった。
悪霊の追放と奇跡的いやしは、人々にとってだけではなく、イエスにとっても真新しいできごとであった。悪霊を追い出し、やまいをいやすことはその日だけ単発的に起こったことなのだろうか、それともその力は今後変わりなく継続するのだろうか。イエスは自問した。
後になってだが、イエスは「ダビデの子」と呼ばれるようになる。ダビデはイスラエル国家が誇りとする最も偉大な王であり、しかもメシヤ(救世主)のような王であった。つまり、「ダビデの子」という称号からメシヤ期待がうかがえるのである。
ダビデの登場は聖書全巻の中でも最も華々しいものである。一介の羊飼いにすぎない少年ダビデが天敵ペリシテ軍のチャンピオンであり巨人でもあるゴリアテをイスラエル全軍とペリシテ全軍の注目する前で倒し、イスラエル国家を救い、味方に大勝利をもたらした。
彼は一日にして国家的ヒーローになったのだ。
王から召抱えられ、王の娘を妻として与えられ、王子ヨナタンの親友となった。彼の人気はごく短期間のうちに絶頂に登りつめた。
「ダビデの子」イエスの登場はダビデのそれと比べると、はるかに控え目である。ガリラヤ地方は首都エルサレムから最も遠く、文化的施設も活動も記録されるようなものはなかった。カペナウムという田舎村のシナゴグ(会堂ー集会用の建物)で一人の男から悪霊を追い出しただけだし、ごく普通の家で一人の女の熱病をいやしただけであった。
ダビデの登場との大切な比較はもう一つある。ダビデはゴリアテとの一騎打ちを自ら進んで嘆願した。兄たちとサウル王の大反対にもかかわらず、勝利を確信して反対者を説き伏せた。
イエスの場合は受け身であった。いやしも悪霊の追放も自ら進んで行ったわけではなかった。これは、この初めの日に限ったことではなく、イエスのミニストリー(伝道活動)の特徴ともいえる。病人がイエスのもとに来たのであり、また、病人や悪霊につかれた者がイエスのもとに連れてこられたのだ。
「奇跡的な癒しと悪霊追放はこの日だけのものか、それとも継続的なものか」というイエスの自問は、数日後に答えられることになった。一人の男がこの質問を解くきっかけとなった。
イエスが一人になるのを狙って、この男が近づいてきた。その顔はひどい皮膚病に侵されていた。その顔と首元を一見しただけで、皮膚病がからだまで広がっていることは明らかだ。彼はイエスの足もとにひざまずき、イエスの顔を見上げて言った。「あなたがいやそうと思われるだけで、わたしの皮膚病はきれいになります。」
その姿を見て、イエスの心はあわれみの情で動かされ、手を伸ばして、彼の皮膚病でおおわれた顔にさわった。二人の目があった。イエスの目から発した光を男は見た。力強い一言が迫ってきた、「私の心だ。きよくなれ。」すると、すぐにその皮膚病は消えて、その人の皮膚は一瞬のうちにきれいになった。
男の心は感動でふるえていた。いやされることを信じて来たのだが、期待したことが起こるとそれはやはり不思議であり、畏れの念で満たされた。
また、皮膚病でおおわれた顔にイエスの手が伸びて触るとは思いもよらなかった。なぜなら、当時のユダヤ人たちは汚れたものに触ることを忌み嫌っていたからだ。皮膚病が伝染することだけを恐れただけではなく、汚れた皮膚に触るだけで人間存在そのものが汚れてしまうと思い込んでいた。人々は、病人だけではなく、死体にも、墓石にも決して触らなかった。何年間もさわられていない顔にイエスの手は触れたのだ。接触の瞬間、電撃のように神の愛がからだを走り抜けた、そう彼は感じた。顔に触ったイエスの手を通じて神の愛が悲しい心に流れ込んで来たのだ。
驚いたのは男だけではなかった。イエス自身も自分の振る舞いやことば、また自分にそのような力があることに今回も驚かされたのだ。つまり、イエスは自分がヒーラーであることがわかってヒーリングをしたのではないのだ、むしろヒーリングが起こったので、ヒーラーとしての自意識が生まれ始めてきたのだ。
イエスは何一つ計画していなかった。何一つ前もって考えていなかった。何一つ準備していなかった。イエスは突然反応したのであり、その反応は無意識的なものであった。ひどい皮膚病もちの嘆願という、新しい事態が目の前に置かれた。あわれみの情が付きあげてきた。手を伸ばして触った。「わたしの心だ。きよくなれ。」と口からことばがついて出た。皮膚病はいやされた。
この出来事は、イエスの自己理解に大きな影響を与えた。それは病人をいやす不思議な力が単発的なものではなく、継続するものであり、とどまり続けるものであることをイエスは確認した。
この奇跡によって、イエスの評判は一気に広がることになる。イエスの名は口から口へと伝わり、この日の夕方には、人々は病人や悪霊につかれた者を大勢イエスのもとに連れて来た。イエスは、さまざまの病気にかかっている多くの人をおいやしになった。イエスのパワーは全開した。イエスが類まれなるヒーラーであることは自他ともに明白になった。
イエスの評判がガリラヤ地方すみずみに広がるのに時間を要しなかった。それは、イエスの教えによったのではなく、病人をいやし、悪霊を追放する力によったのだった。イエスはヒーラーとして公に登場しようとしたのではなかったが、民衆の目にはそのように見えた。
繰り返して言うが、伝道の始めに、イエスがいやしの力をアピールしたわけではないし、自ら進んでいやしを行ったわけではない。イエスが病の者に近づいたのではなく、病人のほうから、あるいは病人を連れた者たちがイエスに近づいたのだ。
イエスがいやしの力を認識する前に、民衆は彼の力を認め、いやしの力を引き出したと言えるだろう。民衆はイエスを医者と呼び、イエスも自分をヒーラーと把握していった。
「医者を必要とする者は丈夫な者ではなく、病人だろう。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来た。」というイエスの宣言は、彼の内面にヒーラーとしての新しいイメージが確立したことを示唆している。 (次回につづく)
平野耕一(ひらの・こういち):1944年、東京に生まれる。東京聖書学院、デューク大学院卒業。17年間アメリカの教会で牧師を務めた後、1989年帰国。現在、東京ホライズンチャペル牧師。著書『ヤベツの祈り』他多数。
*前回掲載のコラム「パッションを理解するために」は、この「イエス伝」の連載後に延期となります。