さあ、イスラエルは言え。「もしも主が私たちの味方でなかったなら、人々が私に逆らって立ち上がったとき、そのとき、彼らは私たちを生きたままのみこんだであろう。彼らの怒りが私たちに向かって燃え上がったとき、そのとき、大水は私たちを押し流し、流れは私たちを越えて行ったであろう。そのとき、荒れ狂う水は私たちを越えて行ったであろう。」ほむべきかな。主。主は私たちを彼らの歯のえじきにされなかった。私たちは仕掛けられたわなから鳥のように助け出された。わなは破られ、私たちは助け出された。私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある。(詩篇124:1〜8)
立春を迎えるころになり、春めいてきました。寒さが厳しくても春に向けて季節は動くのですから、自分の人生も主によって前進していくと信じましょう。
日々聖霊によって燃やされて生き生きと歩むのと、ふてくされて愚痴を言いながら歩むのとでは、結果が大違いです。年の初めから皆さんにお勧めしていますが、私も毎日恵みを1つ以上書き留めています。最近、歳のせいか、失くし物が見つかった感謝が3回もあるのですが、なくなったら大変ですからとても感謝です。私たちは、恵みの震源地となるように、周りのみんなも巻き込んで祝福されたいのです。
最近も、祈りが次々に応えられています。10年来のがんが消えた方、窓際族になって二度と元の部署に戻れないと思われていたのに、2月からの人事異動で元の部署に戻ることができた方。今までその会社ではあり得なかった異動だそうです。
しかし、クリスチャンとして恵みに慣れて、当り前になってしまわないようにしましょう。恵みがいっぱいあるにもかかわらず、目を留めることができずに、自分には恵みがないという悪い感覚に陥らないように、日々恵みを数えて感謝しましょう。
この詩篇は、会衆が皆で唱和する賛美歌のような詩篇です。神の前で礼拝するとき、暗記して唱和したのです。内容は、2~5節と6~8節の2つの部分に分かれています。それぞれを見ていきましょう。
1. 恵みを数えて感謝する
まず前半の5節まで。これは、イスラエルが体験したあらゆる困難、問題の中でも主によって守られたではないか、それを感謝しようというものです。私たちも、さまざまなトラブルにひんしたときに守られたという経験があるはずです。それから救い出され、守られたではないかということを思い起こし、感謝しましょう。
私たちは、のど元過ぎればで、恵みをすぐに忘れるのです。恵みの震源地となるために、恵みに敏感な者になりましょう。あの試練の中でも助けられた、もしも主が味方でなかったら、今の私は存在しなかったではないか、という主の守りと恵みに感謝しましょう。
2. 恵みを証しする
トラブルから助けられた、それを体験しました、ということを自分のうちにとどめるのではなく、証しすることです。信仰告白です。ピンチに陥って、主が助けてくださった体験を、助け主、救い主が共にいることを大きな声で証ししましょう。
家族や周りの人々のために愛を込めて祈るだけでなく、自分の受けた恵みに皆を巻き込むのです。イエスによって人生を変えられた実体験を人々に証ししているでしょうか。実は、聖書は神の存在について説明や証明をしていません。神の存在は、大前提なのです。その上で、神とはどういうお方かということが書かれているのです。
神は、私たちと共におられる方です。神の恵みにより、私は以前とは全然違う私になったとパウロが証ししました。私たちも、神がおられなければ、世の人々のように、金もうけのためには人を押しのけて奪っても構わない、何でもしたでしょう。しかし、私たちクリスチャンは違います。悪から離れ、善を選び、自分の側から人々を愛して歩む者へと変えられたのです。
主なる神が、私たちの味方だから実現したことです。私の人生には、神の恵みがあふれていると喜び証しする者となりましょう。
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