シリアで過激派組織「イスラム国」(IS)に拘束されたジャーナリストの後藤健二さんが殺害されてから、10年がたった。殺害映像が公開された1月31日には、親交のあったジャーナリストらが日比谷図書文化館(東京都千代田区)で追悼イベントを開いた。後藤さんの長女も映像でメッセージを寄せ、それぞれが持つ思い出を語りつつ、後藤さんが命懸けで伝えようとしたメッセージを改めて心に刻んだ。(前編はこちら)
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後藤さんは、危険を伴う紛争地の取材を重ねながら、ジャーナリズムとアートを融合させる試みにも取り組んだ。紛争地の生々しい映像は、テレビなどで放送できないこともある。アートと融合させることで、報道の枠組みや言葉の壁を超えた発信をしようとしたのだった。
後藤さんとコラボしてこの取り組みをしてきたアーティストの高津央(こうづ・なかば)さんは、2人の最初の代表作といえる「broken boy」などの作品を紹介しながら、後藤さんとの思い出を語った。「broken boy」は、後藤さんが西アフリカのリベリア内戦を取材した際に出会った少年をモチーフにしている。後藤さんが出会ったとき、その少年は既に亡くなっており、ブルドーザーがその亡骸を無数の遺体と共に埋めるところだったという。
高津さんは、シリアに入った後藤さんと連絡が取れなくなった直後から、ISに拘束されていることを知らされていた。「情報を聞くのですが、全く無力、何もすることができない状況でした」。そのような中、気付かされたのが祈りの力だった。
「祈ることしかできないという表現がありますが、祈ることができて良かった、何にもできないけど祈ることはできると、非常にポジティブな感覚を祈りに感じました」。祈りは後藤さんから教えてもらったことだと言い、現在は祈りをテーマにした作品を制作していると話した。
ニューヨーク在住のドキュメンタリー制作者である西前拓さんは、ISが後藤さんらの人質映像を公開した翌日、解放を求める「I AM KENJI」運動を始めた。映像が公開された日、西前さんは一睡もできず焦燥しきっていたという。そうした中、同僚から促されて思いついたのが、「I AM KENJI」と書いたボードを持った写真をSNSなどに投稿し、後藤さんへの連帯を示すことだった。この運動は瞬く間に広がり、世界中の何万人もの人が参加した。
西前さんは、自身にとってこの運動は「祈り」だったと言う。「人間、祈るしかない時があるわけです。誰かが病であるとか。僕にもそういうことがありましたが、この時の祈りは特殊でした。本当に命を救ってほしい、そして、命を救うチャンスがある(という祈りでした)」
また、後藤さんは生前、危険な場所に取材に行く理由を尋ねられると、「呼んでいるから(It's calling)」とよく答えていたという。今もその意味を考えるという西前さん。「彼の場合、やはり一番弱き者、小さき者の声に耳を傾け、それを伝えることだと思う」と言い、後藤さんはそのために命を懸けていたと話した。
「彼はジャーナリストとしても素晴らしい資質を持っていて、それも彼のコーリング(calling=天職、召命)だと思う。でも、彼の場合はもっと深いというか、人間としてのコーリングというか、もしかしたら神様からのコーリングかもしれないし、(紛争地の)子どもたちが呼んでいる(コーリング)からだったのかもしれない」
イベントでは、「ジャーナリストはなぜ戦地に行くのか」をテーマにしたパネル討論会も行われ、栗本さん、元NHKアナウンサーで現在はフリーのジャーナリストとして活躍する堀潤さん、紛争地取材の経験が長い高世仁さんが登壇した。
シリア難民の取材もしている堀さんは、「今、情報が錯綜しているとき、圧倒的に一次情報が足りないと思っています」と指摘。さまざまなオピニンオンなどはあふれているが、それがかえって分断を招くこともあるとし、当事者の声を伝える大切さを話した。
高世さんは、ロシア軍に包囲されたウクライナ東部の都市マリウポリに、AP通信の記者らがとどまり続け、その惨状を伝えたことで世界情勢にも影響を与えた事例を紹介した。記者らは最終的にマリウポリを脱出することになるが、住民らはそれを命懸けで手伝った。高世さんは、そこには悲惨な現地の状況を伝えてほしいという強い願いがあったとし、紛争地など危険な地域を取材するのは、そした現地の人々の声に応えることだと話した。
討論会後には、シリアに関わりの深い会場の参加者からの発言もあった。在日シリア人ジャーナリストのエルカシュ・ナジーブさんは、「ここにいるインデペンデント・ジャーナリストたちは、皆さんが思っている以上に重要です」と述べ、特定の報道機関に属さずに、身の危険を伴う紛争地などで取材を行う個々のジャーナリストの重要性を語った。
シリア人の夫を持つドキュメンタリー写真家の小松由佳さんは昨年末、バッシャール・アサド政権崩壊の1週間後にシリアに渡り、取材をした。アサド政権下にあった2年前に取材したときと比べ、シリアの人々の表情は大きく変わっており、「抑圧から解放されたのだ、これからのシリアを自分たちでつくっていくのだと、希望にあふれる姿を見ることができました」と話した。一方、アサド政権下では約10万人が行方不明になっており、悲しみを抱きながら生きている人々が今も多くいると説明。戦闘により荒廃した町も多く、これからどのように生活を再建していけばよいのか、途方に暮れる人々の姿もあったと話した。
イベントを主催した有志らは、後藤さんが命を懸けて伝えようとしたメッセージを未来に伝え続けるため、「後藤健二基金」の設立を目指している。寄付は、銀行振込(南都銀行、御所支店、普通、0456557、クリモトカズノリ)で受け付けている。問い合わせは、事務局(メール:[email protected])まで。