インドネシアのイスラム村がいかに変えられ、キリスト者とイスラム教徒の溝が縮められたのか、トゥネハグ氏が報告した証しは大きな励ましだ。その場合、掛け値なしで与えられる無条件の奉仕の精神と、事あるごとにささげられる祈りがポイントなのだろう。(第1回から読む)
「ビジネス」というと、一見宣教とは全く無関係に見える。それどころか、両者はある意味、対極のフィールドにあるものとさえ思えることもあるだろう。しかし、そのビジネスが見事に媒介として機能し、福音宣教の最前線で活躍するのだ。
福音書の主イエスご自身も、ビジネスの例え話を用いて真理を説明することがよくあった。主は言われた。「この世の子らは、自分たちの世のことについては、光の子らよりも抜けめがないものなので、主人は、不正な管理人がこうも抜けめなくやったのをほめた。そこで、わたしはあなたがたに言いますが、不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうしておけば、富がなくなったとき、彼らはあなたがたを、永遠の住まいに迎えるのです」(ルカ16:8、9)
この世のビジネスですらも、人々は抜け目なくうまくやっている。そうであるならば、われわれ神の子は、なおのこと正しい目的のためにそれを用いるべきなのであろう。
主はまた、こうも言われた。「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ」(マタイ13:8)。種には命が宿っており、命はその性質上、倍加増加せざるを得ないのだ。
ビジネスはその事業自体の成果はもちろん、そこに連なる人間関係や共同体を通しても、神の国の拡大に大いに貢献できる素地がある。これらの活動が大きな成果を生む秘訣は、まさに「祈り」なのである。
この証しに励ましを受けて、御国の拡大のために、いよいよ豊かにビジネスマンたちが用いられるように祈ろうではないか。
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