ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大虐殺)の象徴となったアウシュビッツ強制収容所が解放されてから、27日で80年を迎えた。
ドイツ占領下のポーランド南部にあったこの収容所では、ユダヤ人を中心に約110万人が虐殺されたとされる。27日には収容所の跡地で式典が開かれ、ドイツのオラフ・ショルツ首相やウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領、英国のチャールズ国王らが出席した。
ホロコーストは人類史上最悪の戦争犯罪とされるが、その中でも自らの危険を顧みず、ユダヤ人の命を救い、ナチスに抵抗するため秘密裏に活動した人々がいた。その数々の物語は、心を深く引き付け、感動を与えてくれる。彼らはしばしば、神が自分たちの活動を守り、支えているという深い信念に突き動かされていた。
第2次世界大戦の深い闇の中にあって、ナチスに抵抗し、ユダヤ人を保護し、かくまうために尽力した人々の中には、勇気、愛、決意に満ちた多くの光があった。イスラエルのホロコースト国立記念館「ヤド・バシェム」が、ユダヤ人を救った非ユダヤ人に贈る「諸国民の中の正義の人」の称号を授与した人は、実に2万8千人を超える。
その多くはクリスチャンで、中には有名な人物もいるが、その大多数は今日、ほとんど知られていない。ここでは、これらの英雄たちと彼らを駆り立てたその信仰の一部を紹介する。
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コーリー・テン・ブーム
クリスチャンのホロコースト救助者として最もよく知られている人物の一人であるコーリー・テン・ブーム(1892~1983)とその敬虔な家族は、オランダ西部ハールレムに住み、ひっそりと善行を続けていた。ナチスが侵攻したとき、彼らは恐怖に震えた。コーリーの父カスパーは、彼ら自身が目撃し始めたユダヤ人に対する恐ろしい攻撃について、明確な神学を持っていた。
「かわいそうなドイツ人たち。彼らは、神の愛する者たちに触れてしまったのだ」
家族はユダヤ人を自宅に受け入れ、襲撃に備えて屋根裏に「隠れ場」を作った。この出来事は、彼女の有名な著書『わたしの隠れ場』のタイトルとなり、後には映画(英語)にもされた。悲しいことに、ある日ゲシュタポ(ナチスの秘密警察)が到着し、家族全員が逮捕された。ほとんどの家族は収容所で命を落としたが、それでも彼らは他の収容者たちに信仰を伝え、励まし続けた。
戦争を生き延びたコーリーは、収容されていた悪名高いラーフェンスブリュック強制収容所で死んだ姉のベッツィについて感動的な手記を書き、講演を行った。コーリーはベッツィの有名な言葉を記録したが、それは彼女が地獄のような場所にいたからこそ、より一層胸に迫るものだっだ。
「どんなに深い穴があろうとも、神の愛はそれ以上に深い」
ジュール・サリエージュ
戦時中、フランス南部トゥールーズのカトリック大司教であったジュール・サリエージュ(1870~1956)は、身の回りで目にしたナチスの行為に恐怖を覚えた。フランス国籍を持たないユダヤ人が収容所に送られるようになった1942年、彼は強制収容の「恐ろしい光景」について述べた司牧書簡を、教区内の全ての朗読台から読み上げるように命じた。
「ユダヤ人男性は男性であり、ユダヤ人女性は女性である。外国人には男性も女性もいる。これらの男性、女性、父親、母親に対して、人は自ら望むことを好き勝手にすることはできない。彼らは人類の一部であり、他の多くの人々と同じように、われわれのきょうだいである。クリスチャンはこのことを忘れてはならない」
ナチスと協力関係にあった当局は、この書簡の公表を禁じ、撤回を要求したが、この「サリエージュ爆弾」と名付けられた書簡は大きな影響力を持ち、教区を超えて広く公表され、多くの司教、司祭、修道者、抵抗運動の戦士たちを勇気付け、ナチスの悪の計画に立ち向かう後押しとなった。
イワン・ヤツィユク、セラフィマ・ヤツィユク
デビッド・プリタル(旧姓プリンツェンタル)はポーランド人の家庭に身を隠していたが、他の多くのユダヤ人と同様、新たな避難場所を見つけなければならなかった。彼は、ユダヤ人に対して特別な愛情を抱いていたバプテスト派の農民イワン・ヤツィユク(1900~2002)の家に案内された。到着すると、事情はすぐに理解された。歴史家のマーティン・ギルバートが、救助者たちをたたえる著書『義人—ホロコーストの無名の英雄たち』(英語)で述べているところによると、イワンは妻のセラフィマにこう言った。「神が大切なゲストをわが家に連れてきてくれた。この祝福に感謝しなければならない」
プリタルはその歓迎ぶりに驚いた。「彼らはひざまずき、祈りをささげた。それは、どんな祈祷書にも書かれていない、純粋で素朴な心からの素晴らしい祈りだった。これは夢だったのだろうか。このような人々がまだこの世に存在するのだろうか」
初めて一緒に食事をする前に、その夫妻は聖書を読んだ。「これが大きな秘密だ」とプリタルは考えた。「彼らの道徳性を信じられないほど高いレベルに引き上げたのは、この永遠の書物だ。この書物が彼らの心にユダヤ人への愛を満たしたのだ」
プリタルは戦争を生き延びた。
サベリイ・ミロニウク、オクサーナ・ミロニウク
ヤツィユク夫妻と同じ地域に住んでいた別のバプテスト派の住民であるサベリイ・ミロニウク(1903~1984)と妻のオクサーナ(1907~1993)は、ヤツィユク夫妻から、プリタルや他のユダヤ人をかくまうよう、さまざまな時期に頼まれた。
1943年後半、ユダヤ人青年イグナツィ・シャッツがミロニウク夫妻の家にかくまってもらっていたとき、ドイツ兵とウクライナ人警官が村で捜索を開始した。ヤド・バシェムのウェブサイト(英語)によると、シャッツに隠れる時間がないことを悟ったミロニウク夫妻は、「ひざまずいて祈り始めた」という。
「捜索を行っていたドイツ兵は夫妻の家を見逃し、シャッツは助かった。ミロニウク夫妻と彼らのバプテスト派コミュニティーの信者たちはこれを奇跡と捉え、その後長年にわたってこの話を語り継いだ」
シャッツは戦争を生き延びた。
マリー・ブノワ、フェルナンド・ルブーシェ
フランシスコ会修道士のマリー・ブノワ(1895~1990)は、多くのユダヤ人から助けを求められ、身分証明書の偽造、洗礼証明書の発行、隠れ場の提供、脱出の手配などを行い、ドイツ占領下にあったフランス南部から4千人もの命を救った。また、ユダヤ人の夫が収容所に収容され、苦悩していたフェルナンド・ルブーシェに、神はユダヤ人を愛しているのだから祈りなさいと告げた。それは良き助言であり、また、できる限り多くのユダヤ人を助けるために2人が共に協力し合うという驚くべき冒険の始まりでもあった。
ルブーシェは恐ろしい試練を経験することで、信仰を強めた。自宅に6人のユダヤ人をかくまっていたとき、アパート全体がゲシュタポの抜き打ち捜索を受けた。ユダヤ人たちは彼女に自らを引き渡すよう申し出た。そうすれば、彼らをかくまっていることにより、彼女が死よりもひどい目に遭わずに済むからだ。しかし、ルブーシェの体験記によると、彼女は祈ることにした。
「ブノワ神父、あなたが言われたとおり、私は天を通してあなたに呼びかけます。今、助けてください」
恐怖に震える一行は、他のアパートが捜索されている間、外の階段を上る重いブーツの音を聞きながら静かに待った。不可解なことに、彼らのアパートは手つかずのままだった。この奇跡とも思える出来事は、ルブーシェをその使命において大胆にさせた。
「あの日以来、私の中にはほとんど超自然的な強さが宿った。任務が危険であればあるほど、私はそれをより刺激的だと感じた。私は『行け。恐れることはない』と心の中で声が聞こえるのだった」
それ以来、彼女は善き神の存在を疑うことはなかった。
オットー・メーリケ、ゲルトルート・メーリケ
ドイツ人牧師のオットー・メーリケ(1989~1978)は、ナチスに抵抗した告白教会の他の多くのメンバーと同様、妻のゲルトルートと共にナチスに対してはっきりと反対の意思を示した。政府を公然と批判したため、暴徒に殴られ、牧師の地位を奪われた。オットーは、そうした人々の行動の結果としてドイツに下されるであろう裁きについて大胆に語った。
「教会やキリスト教信仰に対する攻撃、正義と道徳の廃止は、神の非難を招き、その結果わが国の崩壊につながる流れの始まりである」
メーリケ夫妻は、自分たちの子ども5人と負傷した里子1人、また他にも3人を世話する中、ユダヤ人夫妻を自宅にかくまった。自宅にかくまいきれなくなった後も、戦争が終わるまで、彼らが隠れて暮らせる場所を手配した。
ビルム・ホーゼンフェルト
恐らく「諸国民の中の正義の人」の称号を授与することが最も困難だった人物の一人が、2008年にその名誉にあずかったナチス党員であり、ドイツ人将校であったビルム・ホーゼンフェルト(1895~1952)だったであろう。
しかし、ホーゼンフェルトが数多くのユダヤ人、特に「戦場のピアニスト」として、その体験記が映画化されたウワディスワフ・シュピルマンを助けた行動は、彼自身の深い信仰心と、身の回りで目にしたナチスの暴力に対する恐怖心から生まれたものだった。彼は1942年9月1日に、次のように記している。
「神の否定がどこへ導くのかを示す必要があったのだ。神の戒めを否定することは、貪欲という他のあらゆる不道徳な現象につながる。不正な私腹、憎悪、欺瞞(ぎまん)、そして不妊やドイツ民族の没落を招く性的放縦などである。神は、神なき世界では、人間は互いに滅ぼし合わなければならないと考え、争い合う動物に過ぎずないことを人類に示そうとして、このような事態を許されたのだ。私たちは『互いに愛し合いなさい』という神の戒めを聞こうとしなかったために、有罪も無罪もなく、皆死ななければならないのだ」
ホーゼンフェルトはユダヤ人に対する残虐行為を直接目にし、次のように書いた。
「ユダヤ人に対する恐ろしい大量虐殺により、われわれはこの戦争に敗れた。われわれは永遠の呪いを自らに招き、永遠に恥を被ることになる。われわれには同情や慈悲を受ける権利はない。われわれ全員が罪を共有しているのだ。私は街を歩くのが恥ずかしい」