悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。「いのちを愛し、幸いな日々を過ごしたいと思う者は、舌を押さえて悪を言わず、くちびるを閉ざして偽りを語らず、悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ。主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる。しかし主の顔は、悪を行う者に立ち向かう。」(1ペテロ3:9~12)
今日お開きしたペテロの手紙は、1章の冒頭に書かれているように使徒ペテロが、ポント、ガラテヤなどにあった教会に宛てた手紙です。初代教会が置かれていた状況は大変厳しいものでした。周りには悪がはびこり、クリスチャンたちは迫害を経験しました。捕らえられ、拷問され、殺されることもあったのです。そんな状況に置かれていた信徒たちに、ペテロは「悪をもって悪に報いず・・・」という正しい生き方を示し、試練の中にいたキリスト者を励ましたのです。この御言葉から3つのポイントを確認しましょう。
1. 悪ではなく、善を選び取ろう!
ペテロは、クリスチャンに対して悪を行う者に「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい」(9節)、「悪から遠ざかって善を行い、平和を求めてこれを追い求めよ」(11節)と語っています。
今の世の中では、圧倒的に悪があふれているように感じます。普通の若者がお金欲しさに、バイトとして強盗や殺人まで犯しています。また、困っている人に善意を行おうとしても、周りから偽善だと批判され、まっすぐに善意を示すことも難しい。それだけ、世の中全体が悪と罪の力に傾いているのです。
私たちは信仰を持って、善か悪か、二つに一つを選ぶ必要があります。日常生活の中で人の悪口を聞いたときも、そこに加担するのではなく、その人の長所や助けられたことを思い、善を選ぶ必要があります。私たちは心の中に、はっきりと悪ではなく善を選び取ろうではありませんか。
2. しないのではなく、することを選び取ろう!
心の中で善が分かっていても、何も行動しないで終わってしまうと、悪魔を喜ばせることになります。「神はみこころのままに、あなたがたの内に働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる」とあるように、善いことを思いついたら、聖霊が促してくれたと受け止め、行動に移しましょう。
弱っている人のために祈ったり、慰めたり励ましてあげたい。そんな素晴らしいアイデアが与えられているのですから、善いことを選び、実行する者となりましょう。
3. 主がどんな時も見ていてくださる!
自分の力で行動しようとするのは単なる道徳です。私たちがなぜ善を行うことができるかというと、イエス様の模範があるからです。イエス様は私たち罪人を救うために、身代わりとなり死んでくださった。なんという善、愛、神の御業でしょう! このイエス様の十字架がお手本なのです。
このキリストの十字架の愛を知り、今、生かされている私たちの命は、イエス様によって与えられている命です。ですから、この命を通して事を起こしていきましょう。
12節に「主の目は義人の上に注がれ、主の耳は彼らの祈りに傾けられる」とあります。義人とは、弱くても神の御心にかなうことをやってみようという人を指します。
主は見ておられます。悪から離れ、善を選び取り、行動していくときに、主は私たちの心の根を見ておられ、祈りを聞いておられます。そして、弱く不完全であっても、栄光から栄光へとキリストに似た者に成長させてくださいます。
キリストの十字架の恵みを頂き、この十字架に倣い、前進してまいりましょう。
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