2018年7月31日、離陸した直後のアエロメヒコ航空機が墜落した。しかし奇跡的にも、この事故による死者はなく、103人の乗員乗客の全員が助かった。事故の様子を撮影していたラミン・パルサは、乗員乗客全員を救ったのはイエスだと信じている。
ラミン・パルサは、搭乗した機内の窓から、飛行機が離陸する様子を撮影していた。飛行機が降下して墜落したとき、彼は窓から離陸を録画していたのだ。ビデオには、飛行機が滑走路をスピードを上げて離陸した直後に機首が下がり胴体着陸する様子が映っている。映像には、墜落する瞬間、パルサがイエスに祈っているのが聞こえる。「人々は叫んでいましたが、私は祈っていました。そうです。イエスに祈っていたのです。そして私たちの命が守られたのは、このイエスのおかげなのです」とパルサはNBCのニュースに語った。
パルサはツイッターにこう書いている。「イエス・キリストは生きておられる。彼は飛行機事故から私を救ってくれました。永遠に私は主に感謝するでしょう」。彼のツイッターのプロフィールには「主イエスによって人生が変えられた元ムスリム。私はキリストの愛を伝えるためにキリストに仕えています」とある。彼は作家で講演者、そして伝道者なのだ。
飛行機はメキシコのドゥランゴからメキシコシティに向かっていた。死者は出ず、炎に包まれる前に多くの人が無傷で飛行機から脱出できたのである。
パルサは、イラン革命直後のシーア派イスラム教徒の大家族に生まれた。「私の家族は革命によって大きな影響を受けました。兄弟の一人が殺され、家族のほとんどの財産が奪われてしまったのです」
イランの他の多くの若者と同様、彼はイスラム教の厳格な宗教的伝統の下で育った。しかし、彼の家族は権力を握った革命派と対立したのだ。「おそらく、私の家族の歴史と悪名が原因で、私はこれらの厳格な宗教的な法律と伝統に違反した疑いをかけられたのです。私は取り調べられ、何度も拷問を受けました」
「19歳の時に父親が心臓発作で急死した後、私はイスラム教への信仰に疑問を抱くようになりました。私は悲しみと絶望のどん底に落ちていきました。人生に希望も目的も見いだせず、自殺を考えるようになりました」と彼は言う。そんな死の陰の谷を歩いていたかのような人生で、彼は衛星放送を通じて初めて福音のメッセージを聞いたのだ。最初は聞くことを拒んでいたが、神は彼の心を引き寄せ続けてくださったのだ。
何を信じたらいいのか分からず、彼はシンプルな祈りをささげた。「イエスよ、もしあなたが神の子なら、私の心に入ってきてください」と。すると驚くべきことが起こった。「その言葉が口から出た直後、私は手の平が熱くなるのを感じ、泣き出してしまった。同時に、力強い喜びと平安が私を襲ったのです。私の絶望感、罪悪感、羞恥心が突然消え去ってしまったのです」。このようにして、パルサは新しく生まれたのである。
当時、パルサの母親は病気で、彼は母親の家に行き、自分に何が起こったのかを話すことにした。「ベッドに横たわっていた母の上に、まだ熱かった手を置くと、母はたちまち癒やされたのです!」
その日以来、彼は、中東や世界中の救われていない兄弟姉妹に福音のメッセージを伝えることに召しを感じている。「どんな個人にとっても、どんな国にとっても、唯一の希望は主イエス・キリストの福音だと信じています」と彼は力を込めて語った。
ところが救われて8カ月後、彼は何者かに刺されてしまった。痛みを伴う療養の後、彼はイランを脱出し、隣国の教会で神に仕え始めた。その後、渡米して聖書大学に通い、2011年に卒業し、それ以降はロサンゼルスに移住し、リデンプティブ・ラブ・ミニストリーズ・インターナショナルの牧師として奉仕している。
一歩間違えば、全員が死傷してもおかしくない飛行機事故だったが、奇跡的に死者がいなかったというのは驚くべき恵みだ。このような証しが多くのメキシコ人たちに届き、救いの御業が拡大していくように祈っていただきたい。
■ メキシコの宗教人口
カトリック 77・7%
プロテスタント 11・2%
無神論者 3・6%
土着の宗教 1・2%
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