私たちクリスチャンの人生は「板挟み」の人生です。
私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。(ピリピ人への手紙1章23、24節)
天国を本当に信じ、天国の素晴らしさを知ったら、「この世にとどまっているよりも早く天国に行きたい!」と思うのが正常です。しかし、そう簡単にこの世を去れない事情があります。
それは、「伝道」をしなくてはいけないからです。自分だけが天国に入れればよいのではなく、みんなで天国に入るべきだからです。良いものを人に伝えずにはおれない人もいますし、良いものをごく限られた人にしか知らせないか、自分だけでとどめておく人もいます。
しかし、その人間的な思いを超えて、福音は伝えなくてはいけません。その時、この地上にとどまる大義が与えられるのです。私たちの人生は、そのことのために与えられているのです。
ただ、情報として福音を伝えるだけではなく、全身全霊で、人生の全てを懸けて伝えるべきなのです。
それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」(マルコの福音書16章15節)
これは、イエス様の至上命令なのです。そして、この使命を果たし終えたときに「そろそろ戻って来なさい」と、天に召していただけるのです。神に仕えた結果、身も心もボロボロになったとしても、それは勲章です。
そして、召されて天に帰るということは、天に凱旋することです。何と喜ばしいことでしょうか。私たちは、天国に望みを置きながらも、天に召されるその日まで、伝道し、愛し、人々の益のために生きてまいりましょう。
私たちは、あなたは、伝道するために生まれてきたのですから。
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