ヤイロという人が来た。・・・彼はイエスの足もとにひれ伏して自分の家に来ていただきたいと願った。彼には十二歳ぐらいのひとり娘がいて、死にかけていたのである。イエスがお出かけになると、群集がみもとに押し迫って来た。・・・家から人が来て言った。「あなたのお嬢さんはなくなりました」・・・人々はみな、娘のために泣き悲しんでいた。しかし、イエスは言われた。「・・・死んだのではない。眠っているのです。」・・・イエスは、娘の手を取って、叫んで言われた。「子どもよ。起きなさい。」すると、娘の霊が戻って、娘はただちに起き上がった。(ルカ8:41、42、49~55)
今日の聖書箇所では、イエス様が会堂管理者の娘を死からよみがえらせてくださった、癒やしの御業が記されています。大変有名な物語で、マタイ、マルコの福音書にも同じ内容が記されています。しかし、その中でもルカの福音書は、特にイエス様の存在を生き生きと書いているように感じます。
私たちの側の事情は関係なく、ただそこにおられる100パーセントの癒やし主が素晴らしい。その方の周りにはいつも力があふれていて、人々はどんどん癒やされていく。ルカはそのようにイエス様を描写しているのです。
本日は、癒やし主イエス・キリストの素晴らしさ、偉大さについて共に分かち合いたいと思います。3つのポイントを押さえて、私たちの癒やしの祈りをしていきましょう!
1. 人々の諦めを越えて働いてくださる主!
ヤイロはイエス様に娘の癒やしを求め、イエス様はヤイロの家に行くことになりました。しかし、イエス様が到着する前に、娘は亡くなってしまいました。押し迫る群衆で道が渋滞したり、長血を患う女性を癒やすために足を止めたりで、到着が遅れてしまったからです。
イエス様が来られたが、もうすでに手遅れ、万事休す。人々は諦めていました。しかし、そんな彼らにイエス様は「恐れないで、ただ信じなさい」と語られたのです。
私たち人間には限界があります。時に諦めるしかない状況にも出くわすでしょう。しかし、イエス様の力はどんな病気や死の力であっても縛ることはできません。人々にとって諦めざるを得ない、絶望的な状況であっても、主は偉大な御業を成し遂げられるのです。
2. 人々の涙や悲しみを越えて働いてくださる主!
人々が娘のために泣き悲しんでいたところ、イエス様は「眠っているのです」と言われました。人々はイエス様を嘲笑しました。そこにいた全員が、すでに娘は死んでいると知っていたからです。
私たちは病や死の力に翻弄されるとき、泣きわめき、絶望の中に陥れられるでしょう。それが人間の弱さです。しかし、そんな涙も悲しみも乗り越えて、病を癒やし、死んでいた娘の命までも取り戻してくださるお方がおられることを感謝しようではありませんか。
絶望から立ち上がらせることは人にはできません。しかし、イエス様にはそれができるのです!
3. 人の命、霊を呼び戻してくださる主!
主は失われたはずの人の命や霊であっても、それを取り戻すことができます。死んだ命まで呼び戻し、その娘から去っていたはずの霊までも呼び戻してくださった。主イエス・キリストは素晴らしい御業を成される偉大な神様なのです。
私たちは、このイエス様に癒やしを祈ろうではありませんか。この病にどれだけ苦しんできたかとか、何十年も悩まされているとか、私たちの事情は関係ありません。事情がどうであれ、イエスがおられれば、そこに大きな力、恵みが流れているのです。主を見上げて共に祈りましょう!
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