神を信じて生きていても、人生が好転しないどころか、雲行きが怪しくなり、悪い状況に陥ってしまうことがあります。正確にいえば、悪い状況ではなく、悪く見える状況です。
心が揺れ、信仰が揺れてしまいそうになることがあります。そんな時、自分の感覚を頼って心配し、恐れ、イライラし、神様に文句を言うこともできますが、信仰を選び、神を信頼して「大丈夫だ、神が必ず解決してくださる!」と言うこともできます。
①神は、私たちの信仰をテストするために、あえて試練を与えられることがあります。②神は、ご自分に頼らせるために、あえて試練を与えられることがあります。③神は、全てのことを働かせて益とし、ご自分が生きて働いていることを示すために、あえて試練を与えられ、その後に解決されることがあります。④神は、最善の道に導くために、方向転換をさせるために、あえて試練を与えられることがあります。
聖歌539番に「見ゆるところによらずして」という賛美歌があります。
1
見ゆるところによらずして 信仰によりて歩むべし
何をも見ずまた聞かずとも 神の御約束に立ち
歩めよ信仰により 歩め歩め疑わで
歩めよ信仰により 見ゆるところにはよらで2
見ゆるところはいかなるも われはや得たりと信じつつ
うたごうことなく歩みなば 必ずそのごとくならん
歩めよ信仰により 歩め歩め疑わで
歩めよ信仰により 見ゆるところにはよらで3
おのがきよきをもて誓う 父なる神はまことなり
その御言葉を信ずる者に なしあたわぬことあらじ
歩めよ信仰により 歩め歩め疑わで
歩めよ信仰により 見ゆるところにはよらで
神を信じ、神に信頼し続けていきたいものです。その理由は、上記4つだけで十分です。私は、毎日信仰が試されますが、その都度信仰を選び、神に信頼し続けます。神は、ご自身を信頼する人を失望させられることはありません。
見よ。わたしは、
シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。
彼に信頼する者は、
失望させられることがない。
(新約聖書 ローマ人への手紙9章33節)
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