新規のコースが追加されると応募が殺到し、定員に対し2~3倍の参加申し込みが寄せられる人気のツアーがある。訪問先は、誰もが知る観光名所や穴場の秘境スポットではない。キリスト教の教会だ。建築的に特色のあるところが多いが、いずれも毎週日曜日には礼拝が行われ、ツアーでなくても訪れることのできる教会だ。
ツアーをガイドするのは、『日本の最も美しい教会』『東京の名教会さんぽ』などの著書がある建築家で美術家、そして写真家でもある鈴木元彦さん。父親はプロテスタントの牧師で、自身は5代目のクリスチャンだ。数多くの教会建築を手がける建築家の田淵諭氏に師事し、自身も教会建築を専門とする光の空間デザイン研究所(鈴木元彦建築研究所)を主宰している。
鈴木さんのツアーが始まったのは2023年春。前年のクリスマスに、街歩きツアーを企画している「まいまい東京」から一通のメールが届いたのが始まりだった。最初は参加者が集まるのかも不安で、1回で終わってしまうのではないかと思っていたという。しかし、蓋を開けてみると驚きの連続だった。北海道や関西から前日入りして参加する人や、ガイド中終始メモを取る人、何回もリピートして参加する人など、その熱意に驚かされた。
教会は、看板などに「どなたでも歓迎します」と書いてあることが多い。日曜日の礼拝は、入場料や予約の必要はなく、誰でも自由に参加することができる。それなのに、なぜ有料のツアーに申し込んで教会を訪れるのか。
鈴木さんはツアーの人気の裏に、いわゆる教会の「敷居の高さ」があると考えている。「全ての教会は、開かれた教会であるはずです。しかし、現実には敷居が高い。クリスチャンであれば教会の扉は簡単に開けられますが、クリスチャンでない人たちにとっては、その扉は重く開けにくいのです」
しつこく勧誘されるのではないか。礼拝の献金は自由だと言われても、相場はいくらなのか。マナーとして何が失礼に当たり、何は大丈夫なのか――。教会に行ったことのない人が抱く「心配」を解決してくれるのが、ツアーという形態なのだ。
団体で訪問し、参加費を払っているため、勧誘や献金などを気にする必要はない。ガイドが付いているため、マナー的な事柄に関しても事前に説明を受けられ、分からなければ気軽に質問できる。また、まいまい東京の場合、他のツアーに参加している人も多く、参加者同士が顔見知りというケースは珍しくないため、安心感があるという。
6月末に行われた湘南地域の2つの教会を巡るツアーに参加した60代の男性は、鈴木さんのツアーに7、8回も参加しているリピーター。現役時代は出張で欧州各国を何度も訪れ、機会があれば教会に立ち寄ったという。日本の教会にも訪れてみたいという気持ちがあったが、なかなか足が進まなかった。そうした中で出会ったのが、鈴木さんのツアーだった。
湘南地域のツアーでは、いずれも神奈川県藤沢市にあるカトリック藤沢教会とカトリック片瀬教会を訪れた。藤沢教会は珍しい八角形の聖堂で、ステンドグラスが360度張り巡らされている。片瀬教会は、一見するとお寺と間違えてしまう日本建築の聖堂で、こちらも非常に珍しい。ツアーは基本的に鈴木さんがガイドするが、この2つの教会では、教会の関係者もその歴史や建物の構造などを説明し、参加者からの質問に答えた。
鈴木さんは、ツアーが単なる観光にならないように気を付けている。片瀬教会では初めに、参加者全員で数分間の静寂の時を持った。参加者のほとんどはクリスチャンではないが、信仰の有無にかかわらず、教会が「祈りの空間」であることを少しでも感じてほしいからだ。前述の男性も、繰り返しツアーに参加する理由の一つとして、教会で心を静めるひとときがあることを挙げる。
鈴木さんのツアーはいずれも1回2~3時間で、徒歩か電車数駅で移動可能な範囲の2~3教会を訪れる。訪問先はプロテスタントからカトリック、正教会までさまざまで、鈴木さんが著書で紹介した教会が中心となっている。
「教会に優劣をつけられないことは大前提だと思っています。どの教会も美しく、また、教会は建物ではなく、あくまでもエクレシア(「教会」を意味するギリシャ語、もともとは「人々の集い」の意味)ですから。ですが、初めての人たちにも分かりやすいよう、構造的に素晴らしい教会や、建築に新しい神学的な解釈が反映されている教会を中心に、選ばせていただいています」
まいまい東京で鈴木さんのツアーを担当している尾島可奈子さんは、「自分一人では普段行けない祈りの空間に伺えることは、鈴木さんのツアーならではです。また、建築と信仰の両方の視点から解説してくださるので、より立体的に訪問先の理解が深まることが大きな魅力だと感じています」と話す。
参加者からは、「ツアーで訪れた教会を再訪した」「ツアーとは別の教会に行ってみた」という声も寄せられている。尾島さんは、「より多くの人と交流の機会を持ちたい教会と、より広く世界を知りたい参加者双方の架け橋に少しでもなれるようなツアーを、今後も鈴木さんと一緒につくっていきたいです」と話す。
人気のツアーだが、課題がないわけではない。有料であることを理由に、ツアーの受け入れを敬遠する教会もあるという。「教会は非営利なのに見学料のようなものを取るのはどうなのか、と抵抗を感じる教会が多いようです」と鈴木さんは話す。
また、教会が「祈りの空間」であるが故に案内する難しさもある。初めて教会を訪れる人にとっては全てが新鮮で、目に留まるものは何でも写真に撮りたくなる。しかし、教会で祈っている人がいる場合もある。教会を身近に感じてほしいが、祈りは妨げたくない。ツアーでは開始時に「教会内の撮影は許可が出てから」と参加者に伝えている。ただ、それでも配慮が必要な場面もある。「ガイドする身としては、さじ加減が難しいです」と打ち明ける。
それでも鈴木さんは、使命感を持ってこのツアーを続けている。
「どの教会もそうですが、誰でも入れると言っていても、実際には敷居が高く、入りづらい現実があります。教会を知ってもらうために、新しい伝道の仕方があってよいと思っています。ツアーの参加者が、敷居の高さを感じることなく教会に入っていけているのであれば、もうこれは伝道になっているのではないでしょうか。このツアーは、自分の専門である建築を用いた伝道だと思っています」
鈴木さんがガイドした過去のツアーの一覧は、まいまい東京のサイトで見ることができる。また、鈴木さんの公式サイトでは、新規コースの案内などを随時行っている。