銃弾が数センチずれていれば命を失っていたであろう暗殺未遂事件に遭遇したドナルド・トランプ前米大統領。その2日後の15日、共和党の大統領候補であるトランプ氏は、同党のジェームズ・デイビッド(J・D)・バンス上院議員(オハイオ州選出)を副大統領候補に選んだ。
インド系移民2世の弁護士である妻との間に3人の子を持つバンス氏は、現在39歳。上院議員としては2番目に若い。前職はベンチャー企業などへの投資を専門とするベンチャーキャピタリスト(投資家)だが、生まれたのは白人労働者の貧しい家庭。出身地は、2016年の大統領選でトランプ氏が勝利する原動力となったとされる「ラストベルト(さびついた工業地帯)」に位置する同州ミドルタウン。
貧しく、不安定な家庭環境で育ちながらも、海兵隊員としてイラク派兵を経験した後は、オハイオ州立大学で学び、名門イエール大学の法科大学院を修了。弁護士として数年働いた後、ペイパルやオープンAIなどの共同創業者であるピーター・ティール氏のベンチャーキャピタル(投資会社)に勤務した。
16年にラストベルトで貧困に苦しむ白人労働者の姿を描いた自伝書『ヒルビリー・エレジー』を出版すると、ベストセラーに。当時は大統領選の真っただ中で、メディアへの出演が急増。そこでは「ネバー・トランプ(トランプ氏は絶対ダメ)」と発言するなど、トランプ氏に批判的な姿勢を貫いた。
しかし、22年の中間選挙で上院選に出馬すると、共和党の予備選でトランプ氏批判がネックに。過去の発言を謝罪するなどして関係を修復し、トランプ氏から支持を獲得。予備選で勝利して共和党候補になると、本戦でも民主党候補を破り、初当選を果たした。
政治的な力学のためか、トランプ氏に対する立場を180度変えたバンス氏だが、自身の信仰の歩みも決してまっすぐなものではない。祖母の影響でキリスト教的背景の中で育ったものの、学生時代には無神論者に。しかし、さまざまな出会いと深い思索を経て、5年前の19年にカトリックの洗礼を受けた。20年には米カトリック誌「ザ・ランプ」(英語)に、自身の信仰の旅路を詳細に記し、その時々の心の動きを率直につづっている。
幼い頃に両親が離婚したバンス氏は、主に祖父母に育てられた。特に「マモー」(米南部の方言で「おばあちゃん」の意味)と呼んでいた祖母は、深い信仰心を持った女性だったという。しかし、「完全に脱制度化された信仰」の持ち主で、大衆伝道者のビリー・グラハム氏らの説教を好んだ。テレビで放送されるこれらの説教を自宅で聞くことが多く、教会に行くことはめったになかったという。
そのため、バンス氏が組織的な教会と実際に触れたのはもっと後になってからのことだった。それは、父親が通っていたプロテスタントのペンテコステ派教会を通してだったという。
カトリックに対しては、プロテスタントが抱くステレオタイプ的な悪いイメージを持っていた一方、好奇心もあった。「私は長年、カトリックへの好奇心と不信の間の居心地の悪い領域にとどまっていました」。また何よりも、自身がカトリックの洗礼を受けることを、祖母がどのように思うのかが長年の気がかりだったという。
03年に高校を卒業すると、海兵隊に入隊した。05年にはイラクに派兵された。当時は「世界の後進国に民主主義と自由主義を広めることに専心する若い理想主義者」だったというが、06年に再派兵されたときには、戦争とその根底にあるイデオロギーに懐疑的になっていた。その頃には祖母も亡くなり、「通う教会もなければ、若い頃の信仰につなぎとめてくれるものもなかったので、私は敬虔な信仰者から名ばかりの信仰者に、そして信仰の全くない者に転落していきました」という。
クリストファー・ヒッチェンズ氏やサム・ハリス氏といった無神論者の著書を読むようになり、07年に海兵隊を除隊しオハイオ州立大学に入学するころには、無神論者を自認するようになっていた。
「大学では、宗教的な信仰を持つ友人はほとんどおらず、教授たちはさらに少なかったです。世俗主義はエリート層に加わるための前提条件ではなかったかもしれませんが、物事を確かに容易にしました」
その後は、社会的な成功をひたすら追求する道を進む。しかし、どこまでいっても満足は得られなかった。
「私は能力主義の論理にどっぷり漬かっていましたが、それがまったく満足のいくものではないと感じていました。そして、疑問に思い始めました。こうした世俗的な成功の指標は、本当に私をより良い人間にしてくれるのだろうか、と。私は徳を業績と引き換えることをしましたが、その業績は不十分だと感じました」
そうした中、アウグスティヌスの創世記に関する黙想や、後の上司となるティール氏、またティール氏が強く影響を受けたフランス人哲学者のルネ・ジラール氏の思想などに出会い、さまざまな思索を重ねていく。
特にティール氏については、「彼は私が会った中で最も賢い人だったかもしれませんが、同時にキリスト教徒でもありました。彼は、愚かな人はキリスト教徒で、賢い人は無神論者であるという私が作り上げた社会のテンプレートを壊しました」と述べている。そして、自身の信仰について考え直す直接のきっかけになったのは、ジラール氏のスケープゴートに関する理論だったとしている。
やがて、カトリックの修道会「ドミニコ会」の修道士らと交流を重ねるようになり、2019年に洗礼を受けた。一方、洗礼を受ける当日も、心のどこかに不安を感じていたことを率直に述べている。
バンス氏は、「ゆっくりと紆余曲折を経ながら」キリスト教に真実性を見いだしていったという。そして、「私は、自分がいかに無知で、いかに不十分なキリスト者であるかを謙虚に受け止めるようにしています」と述べ、その信仰の旅路はこれからも続いていくことをつづっている。