「主はすべてのものにいつくしみ深く そのあわれみは 造られたすべてのものの上にあります」(詩篇145:9)
中年を迎えたある男が、忍び寄る老いに不安を覚え、100歳を迎える隣の老人に聞きました。「あのー、年をとるってどんな感じですか?」するとその老人は言いました。「年をとるというのは、生まれてすぐの赤ん坊になった気分だよ」
男は興奮して「本当にですか!」老人は言いました。「そうだよ! まず髪の毛がない。そして歯もない。その上、オムツの中におしっこをするんだ」。人生には想像もできないようなことが待っているのです。
新聞の投書欄に載っていた文章を紹介します。
「私は中学を出てすぐに、ある小さな会社に入りました。自分の楽しみや家族との時間を犠牲にして会社のために一生懸命働きました。それでも私には将来の楽しみがありました。私は古典が好きで、退職後に読むために種々の本を買い集めました。60歳の定年になると重役に登用され65歳までは勤めることができましたが、61歳の時、矢も楯もたまらず退職しました。ところがそこで第一の難問に出会いました。血圧が異常に高くなり本を読むと疲れを覚えるようになりました。そして、やがて眼底出血で左眼は失明し、右眼は緑内障で手術しました。こうして本を読むことは絶望的になりました。それではと長い間苦労をかけっぱなしの妻と旅行にでも行こうと思った矢先、妻はがんで入院し、アッという間もなく死んでしまいました。私は人生設計を完全に誤ったことを痛感しました」
人生を考えさせられますね。人生は実に不確かな要素に満ちています。そんな不確かな私たちの人生を、確かな責任を持ってしっかりと支えてくれる人はいないのでしょうか。そんな方がいれば安心して歩むことができます。ありがたいことに聖書は「そのような方がいらっしゃる!」と教えてくれるのです。
聖書は天地万物の創造者なる神、私たちに命を与え、育んでくださっている神は「慈しみと憐(あわ)れみの神である」と告げています。主なる神がいかに慈しみと憐れみに富んでいる方であるかを証明する出来事を紹介します。
S・Bさんはお気に入りの家に住み、インテリアにも飾り付けにも、彼女のセンスが十分に生かされていました。特に、彼女のお気に入りはダイニングテーブルでした。このテーブルは特注の大きなテーブルで、ドアから入らなくて中で組み立ててもらったものでした。
そしてもう一つ彼女のお気に入りは、オルガンの上に置かれた12個で一組の人形でした。彼女は訪問客には必ずこれを自慢そうに見せるのでした。彼女はクリスチャンでしたが、イエス様より家や家具の方を愛しているように見えました。
ある日、彼女の家が火事になり、大慌てで消防署に電話します。するとすぐに4人の男の人がジープで駆けつけ、家具を次々と庭に運び出してくれました。やがて消防車がやって来て、放水を始めました。
普通は消火しても、放水の圧力で家具や家が壊れてしまう被害の方が、燃えて壊れることによる被害より大きいといわれます。しかし彼女の場合、ほとんどの家具は運び出されて無事でした。火が収まったとき、彼女は消防士の人に言いました。「4人の男の人たちを先に送ってくださって本当に助かりました」
すると消防士は「私たちはそんな人は知りません」と言うのです。彼女は「でも見てください。その人たちが運び出してくれた家具です」。その時、もう4人の男の人たちの姿はありませんでした。
彼女が裏庭に行ってみると、あの大きなダイニングテーブルが椅子までそろえてキチンと置いてあるのです。ドアより大きなテーブルをどうやって出したのでしょうか。彼女はそれを見たとき、はっ!と気付いたのです。「あー、あれは人間ではなかったんだ。神様が送ってくださった天使たちだったんだ!」
その翌日、彼女が焼け跡を歩いていたら、ほんの少しのスペースですが、じゅうたんが焼けもしないで濡れもしないで残っていて、そのスペースにあの瀬戸物の12個の人形がきれいに並べてありました。彼女はその人形を見たとき、大声で泣き出したのです。「神様、こんなにまでしてくださらなくてもよかったのに!」
どうして、こんな大したこともない人形を、神様は火事から守ってくださったのでしょうか。それは、彼女がそれを大切にしていたからです。その時、彼女は突然、自分が今までイエス様より家や家具の方を愛していたことに気付かされました。そして「イエス様、これから誰よりも何よりもあなたを愛します」と祈りました。
その後、彼女の家はどうなったのでしょうか。火災保険が下りて家は元通り、大切な家具は何一つ失っていません。焼け太りです。しかし、彼女はもはや家よりも家具よりもイエス様を愛する人になりました。
この出来事は、イエスが「慈しみと憐れみの神である」ことの確かな証しです。
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