「熱心に善を求める者は恵みを慕い求める。悪を求める者には悪が来る」(箴言11:27)
ある日、2匹のカエルがミルクおけの周りで遊んでいました。ところが足を滑らせて、2匹はミルクおけの中に落ちてしまいました。
2匹は必死で泳ぎ始めましたが、ミルクおけの縁ははるかに高く、よじ登ることもできません。事態は絶望的に見えました。
2匹は力の限り泳ぎ続けましたが、段々限界に近づいてきました。1匹のカエルは悲観論者でした。「あぁ、もうダメだ。こうなったのも自業自得だ。これも運命と思って諦めるしかない!」そう言ってズブズブとおけの底の方へ沈んでいきました。
もう1匹のカエルは楽観論者でした。「神は耐えられないような試練は与えない。そして試練と共に脱出の道も備えてくださる」。そう信じて泳ぎ続けました。そして、必死に何時間も手足を動かし続けたのです。
すると、何か手足に堅い物がぶつかるようになりました。何と、ミルクを何時間もかき回しているうちに、ミルクがチーズになったのです。そしてこのカエルは、神への感謝をささげ、チーズの上でジャンプしておけの外に無事に脱出したのです。
人生をどんな態度をもって生きているかは、その人の行動や決断に大きな影響を与えます。人生で何かを成し遂げるためにどうしても必要なものは、楽観論的情熱です。
ミッキーマウスの生みの親であり、ディズニーランドの創立者であるウォルト・ディズニーは「全ての成功の秘訣は、自分の仕事にほれ込むことにある」と言いました。「仕事にほれ込むこと」を言い換えれば「仕事に情熱を傾けること」と言えるでしょう。
ウォルト・ディズニーの仕事の情熱がミッキーマウスの成功を生み、ディズニープロダクションの繁栄をもたらしたのです。偉大な仕事を成し遂げた人は、特別な人ではなく普通の人々です。しかしそれは「情熱を持った普通の人々」です。
トーマス・エジソンは、特許件数1300以上に及ぶ発明王ですが、10歳の時、父親が使っていた地下室を研究室にしました。ここから偉大な発明王への一歩を踏み出したのです。しかし、その多くは失敗の連続でした。蓄電池の場合、何百回という実験を繰り返し、その実験が成功したのは500回を超えてからでした。
ジグムント・フロイトは、心理世界における無意識の重要性を強調し、精神分析という学問を創始して、深層心理の解明に取り組みました。彼の大胆な学説は、当時の学会になかなか受け入れてもらえず、困難な道を歩みます。
1902年、彼がウィーンで精神分析について最初の講義を開いたとき、聴衆はたった3人でした。しかし1909年に米国に招かれたときには、何百人もの有名な学者たちが集まり、彼の学説に耳を傾けたのです。
キュリー夫人は夫の協力を得て、8トンの鉱石からわずか10分の1グラムのラジウムを抽出することに成功しますが、雨漏りのする倉庫を実験室代わりに使いながら、何と4年もかかったのです。
果てしない情熱が彼女を支えました。そして、彼女は夫と共にノーベル物理学賞を受賞し、後にラジウムの発見でノーベル化学賞を受賞したのです。
日米学生野球の米国チームの中に、片腕の投手がいました。彼の名前はジョン・アボットです。後にメジャーリーグでも活躍します。彼は来日したとき、大活躍をしました。勝利後のインタビューに、次のように答えています。
「ボクは確かに、体にハンディキャップがありますが、野球に対する情熱だけは誰にも負けないつもりです」
樋口一葉は、貧困の中で『にごりえ』『たけくらべ』などの名作を残し、24歳という若さでこの世を去りましたが、彼女の書くことに対する情熱は、日記、手紙、駄菓子の仕入れ一つ一つの記帳にも満ちあふれています。
キャロル・シューラーは、高校のソフトボール部で活躍する少女でした。しかし彼女は、事故で右足の膝のところから切断し、代わりに固いプラスチックの義足をはめることになりました。
ソフトボールの試合が行われる朝のことです。父親が彼女に尋ねます。「その足で、どうやってプレーするのか」。彼女は答えました。「お父さん、ソフトボールではホームランを打てば、早く走る必要はないのよ」
そしてその通り、彼女はその試合でホームランを打ち、チームの勝利に貢献したのです。彼女を襲った事故も彼女のスポーツに対する情熱や人生に対する情熱を奪うことはできなかったのです。
情熱を持つということは、有名とか無名とか一切関係ありません。普通でない情熱は、普通ではない事を成し遂げるのです。
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