キリスト教の信徒伝道者で建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した東京・御茶ノ水の「山の上ホテル」が、13日から全館休館に入った。竣工から86年がたつ建物の老朽化に対応するためで、休館期間は未定だという。
三島由紀夫や池波正太郎ら、名だたる文豪が愛用したことで知られ、開業後初めて利用した作家は、後に日本人で初めてノーベル文学賞を受賞することになる川端康成だった。古書店街がある神田神保町に近く、近隣に出版社が多いことから、さまざまな作家が「カンヅメ」になって作品を執筆する場所にもなった。客室の半分以上が作家で埋まる時代もあったという。
ホテルでは休館前の1カ月間、1階ロビーと地下1階で、「佐藤新興生活館」として始まり、戦後に「山の上ホテル」として開業した歴史を振り返る展示を開催。建物の生みの親である実業家の佐藤慶太郎、ホテルの創業者である吉田俊男、設計者のヴォーリズの生涯などを紹介した。
現在の建物が竣工したのは1937年。故郷の福岡で炭鉱経営に成功するも、持病の胃潰瘍により50代で一線を退いた佐藤が、多額の私財を投じて建てた。自身の財産を慈善活動に注いだ米国人実業家アンドリュー・カーネギーに触発され、また食事療養によって胃潰瘍が改善した経験から、生活改善と社会改良を目指す社会教育事業の拠点として建てたのだった。
その佐藤の先進的な思想に共鳴したのがヴォーリズだった。1905年の来日以来、西洋建築の教会や学校などを日本各地で設計していたヴォーリズは、近くの東京YWCA会館も手がけており、当時はそこに事務所を構えていたという。
ヴォーリズは御茶ノ水ではこの他、主婦の友社の社屋「主婦の友社ビル」と、日本初の純西洋式集合住宅「文化アパートメント」も設計。文化アパートメントは、江戸川乱歩の作品で、名探偵・明智小五郎が探偵事務所を開いた「開化アパート」のモデルとして知られている。しかし、いずれも現在は取り壊されており、主婦の友社ビルは外観を復元して取り入れた「お茶の水スクエアA館」(現日本大学お茶の水校舎)が跡地に建てられているものの、山の上ホテルが御茶ノ水に残る最後のヴォーリズ建築となっていた。
建物は、戦時中は日本海軍が徴用。戦後は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が接収し、米陸軍婦人部隊の宿舎として用いられた。この時の呼び名が「HILLTOP HOUSE」で、山の上ホテルの名称は「HILLTOP」を「山の上」と意訳して名付けられた。
GHQによる接収解除後の1954年、吉田が建物を借り入れる形でホテルを創業。ホテルの運営経験はゼロだったが、欧州のプチホテルの気品と日本旅館のもてなしを掛け合わせた「西洋旅籠」を掲げて運営した。戦後復興間もない当時は、東京でもホテルは数軒があるのみで、吉田は欧州の一流ホテルから日本各地の名旅館までを視察させるなど、従業員の教育に力を入れたという。
今年はちょうど、ホテルの創業から70年の節目。歴史をたどる展示には、休館を惜しむ多くの人が駆け付けた。展示スペースに置かれたメッセージノートには、それぞれの思い出と共に、再開を待ち望む多くの声がつづられていた。