日本ケズィック・コンベンション東京大会が2月28日と3月1日の2日間、東京都新宿区のウェスレアン・ホーリネス教団淀橋教会で開かれた。1日午後の集会には、都内近郊から教職や信徒ら307人が参加。主講師のイアン・コフィ博士がフィレモンへの手紙を本文に講演し、「神の愛、これこそ世界が必要としている愛」と語った。
コフィ博士はまず、本文に出てくる3人の登場人物について説明した。本文の手紙の送り主は使徒パウロである。パウロは獄中でこの手紙を書いた。手紙の送り先はパウロの協力者フィレモン。コロサイにある教会の指導者の一人でもあった。そして、オネシモ。彼は、フィレモンの奴隷であった。奴隷は当時法的な権利を何も持たず、主人が自由に奴隷を殺すこともできた。
本文には詳しく書かれていないが、何かの事情でオネシモは主人であるフィレモンの元から逃げ出した。おそらく、主人の家から何かを盗んだと思われる。オネシモはすぐさまローマに逃げ込んだ。隠れるには当時大都市であったローマが一番安全な場所だと思ったのかもしれない。
奴隷が主人の家から何かを盗んで逃げることは当時大きな罪であった。主人に見つかればすぐさま殺されるか、憐れみ深い主人であっても何度も鞭打たれたうえに、逃げた奴隷だとすぐわかるよう体に特別な刻印を押されることになる。
しかし、オネシモはどういうわけかローマでパウロに出会う。そして、パウロを通してイエス・キリストを知るようになった。本文の手紙は、キリスト者となったオネシモを、パウロがフィレモンに再び送り返すときに書き送ったものである。
コフィ博士は、神の愛とは「非常に実践的なもの」であり、それはフィレモンにとっては「オネシモを赦すこと」、パウロにとっては、「この手紙を書き、それと一緒にオネシモをフィレモンの元に送り返す」ことだと語った。本文でパウロは、フィレモンに対して使徒の権威をもって命じるのではなく、かえって低くなり、神の愛に訴えている。
「パウロは、このことを通してフィレモンに、神の愛を学んでほしい、そして神の愛を示してほしい」と思ったのだろうと、コフィ博士は語る。本文でパウロはオネシモについてこう語る。「彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにもわたしにも役立つ者となっています」(11)
コフィ博士は、人を赦すことについて、「赦しは聞く分には本当にいいもの。でも、いざ自分が誰かを赦さなければならないとなったときに、とてもやっかいなものとなる」と語った。しかし、「誰かを赦せない」という頑なな心から解放されたとき、「神の恵みはあなたに流れ込んでくる」と強調した。
パウロがなぜわざわざオネシモをフィレモンに送り返したかについてコフィ博士は、オネシモを自分のもとにとどまらせることがアガペー(神の愛)の道ではなく、オネシモに自分の過去と正しく向き合わせ、そしてフィレモンにはオネシモを委ねる必要を感じたのだろうと語った。「私たちも過去にしたことを覆い隠していないか」「自分の過去と向き合う必要がある」と語った。
コフィ博士は、本文で「彼(オネシモ)があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください」(18)「わたしが自分で支払いましょう」(19)と話すパウロの姿について、「これが平和をつくり出すものの姿」だと語った。イエス・キリストは弟子たちに「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」(マタイ5:9)と語られた。コフィ博士は、イエスが平和を「愛する者」でも「保つ者」でもなく、平和を「実現する(つくる)者」と語られたことを強調し、「平和をつくり出すためにはそのための代価を支払わなければならないこともある」と語った。
フィレモンの家にきっと起こったであろう出来事を知った町の人々は、「神の子」と呼ばれるキリスト者がどのような存在であるかを知っただろうと、コフィ博士は語った。
最後にコフィ博士は、「私たちが必要としているのはこのような愛」だと語り、「愛は言葉や感情でなく、実際に私がどう行動するか」「私たちが神の愛を生きることができますように」と聴衆に呼びかけた。