デビッド・ハミルトンは北アイルランド在住の引退した牧師である。彼は、ある年のクリスマス礼拝をきっかけに、人生が完全に変えられたのだ。以下は、彼の言葉による麗しい証しだ。
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私は、プロテスタント系住民とカトリック系住民が激しく対立していた時代の北アイルランドのベルファストで育ちました。プロテスタント系住民は北アイルランドを英国内に残すことを望み、カトリック系住民はアイルランドを一つの独立した共和国として統一することを望み、両者の間には流血の絶えなかった時代です。
(*1960代後半から90年代後半まで続いた北アイルランドを巡る英国アイルランド間の紛争は、プロテスタント系住民とカトリック系住民との間に生じた摩擦である。誤解されがちだが、これは宗教対立ではなく政治的領土的な摩擦だった)
私が初めてプロテスタント系住民とカトリック系住民の政治的違いを意識したのは、14歳の時でした。プロテスタントであることを理由に、カトリックの少年たちに殴られ、川に投げ込まれました。その日が私の人生の転機となり、私は破壊的な道を歩むことになったのです。私は二度とカトリックの友人を持たないと心に堅く決めていました。
10代の私は政治テロリストになるという運命的な決断を下し、アルスター義勇軍という非合法の準軍事組織に入隊しました。私は自分を、女王と国への忠誠という大義のために戦う正義の活動家だと思っていました。そして爆弾テロ、銀行強盗、その他の武装強盗など幾つかの犯罪を犯し、そのうちの一つの容疑で逮捕され、17歳の時、刑務所に服役しました。その時は1年後に出所しましたが、その後、私はまた犯罪に手を染めて逮捕され、今度は12年の刑に服したのです。
私が刑務所に入って数年たったころ、普通では考えられないことが起こりました。私はその年のクリスマス、なんと教会の礼拝に出席していたのです。もちろんその礼拝に出席したのは純粋な信仰心からではなく、独房から出て、他の棟の囚人と会い、密輸品や小話、情報を交換するためでした。
信仰心とは全く関係のない動機で礼拝に参加した私でしたが、その朝、刑務所のチャプレンが尋ねました。「今朝の聖書箇所を読んでくれるボランティアはいませんか」と。どういうわけか誰も答えないので、私の前に座っていた囚人が振り向いて、こともあろうに「デイビーがやるって言ってたよ!」と言ってしまったのです。
突拍子もない発言に私は「冗談じゃない!」と内心思いましたが、それで尻込みしたのではみんなの笑い者にされると分かっていたので、意を決して私は聖書を手に取り、その日の箇所――ルカ福音書のイエスの降誕物語――を読みました。読み終えたとき、私は笑っていました。どういうわけか、聖書を読んで気持ちが良かったのです。
クリスマスが終わり、年が明けた1月上旬、私はまた別の経験をしました。ある日の夕方、独房の施錠がされる少し前に、私は紅茶を入れました。枕元に折りたたんだ紙が置いてあり、「イエス・キリストはもうすぐ帰ってくる」と書いてあったのです。私は笑って、それを丸めて独房の窓から投げ捨てました。しかし、ふとある思いがよぎったのです。「そろそろ変わろう、クリスチャンになるんだ」と。これには自分でもびっくりしました。しかしその思いはしばらくの間、私の中で繰り返されて離れませんでした。
最初は、神様が私のような人間に興味を持つわけがないと思って笑い飛ばしていました。私は悪いことをした悪い人間なのです。ベッドに横たわりながら、死と隣り合わせになった時のことを考え始めました。例えば、婚約者と外食した夜、アイルランド共和国軍に殺されそうになったことがありました。またある時は、私が仕掛けた爆弾が、ビルの中で早々に爆発したこともありました。爆発で私の上着はズタズタになったのですが、私自身はかすり傷一つ負わずに助かったのです。路上で銃を突きつけられ、引き金を引かれたこともあります。ところがその時、その銃が動かなくなり、私は奇跡的に助かったのです。
そんなことを考えていると、突然、あることに気が付きました。「あれは偶然なんかじゃない。幾度もあった死ぬような危機から私を守り、生かしてくれたのは神様だったんだ!」と。
自分は幾度となく死んでいてもおかしくなかった。それなのに、なぜまだ生きているのだろう。突然、頭の中にある考えがよぎりました。「神様のおかげだ!」その思いは、考えれば考えるほど、強い確信に変わっていったのです。その時、私は無性にクリスチャンになりたいと思いました。でもどうしたらいいのか分かりません。ところがありがたいことに翌朝、私のベッドの上にいつもトラクトを置いてくれた人に出会ったのです。
私は自分でも驚いたことに、自分はクリスチャンになりたいと打ち明けました。実は、私は以前、彼の信仰を何度もばかにしていたのです。彼は笑って相手にしないだろうと思いましたが、なんと彼は、そんな私を抱きしめてくれたのです。彼はさらに、1カ月分のトラクトを私にくれました。
そのうちの一枚のトラクトの裏面には「主イエスよ、今日、私の心に入ってきてください」というシンプルな祈りが書かれてありました。私は「主イエスよ、私の心に入ってきてください」と、まるで自分の本気度を神に知っていただくかのように、6回もその祈りを繰り返しました。
刑務所の労働に戻るために独房のドアが開いたとき、私は最初に会った人にそのことを伝えようと決心しました。ところが恐ろしいことに、私の告白を聞いた彼は「デイビーがクリスチャンになった! デイビーは神の部隊に入ったんだ!」と叫び始めたのです。彼は「デイビーはクリスチャンになったんだ! 神の部隊に入ったんだ!」と何度も繰り返して叫びました。
チャプレンを見つけた私は、「自分は今、クリスチャンになったんだ!」と叫びました。チャプレンは立ち止まり、私に歩み寄ってきて「いつからそうなったのですか」と尋ねました。チャプレンは私を自分のオフィスに招き入れ、私が自分の身に起きたことを話すのをほほ笑みながら聞いてくれたのです。私が話し終えると、彼は戸棚を開けて、私が初めて自分のものとして受け取った聖書、つまりそれは小さな赤いギデオンの新約聖書だったのですが、それを渡してくれました。彼が私のために祈ってくれたとき、私は10フィートも自分の背が伸びたように感じ、背筋が正されるような思いがしました。
実はその時、人知れず私のために陰で祈ってくれていた婦人がいたのですが、私はそのことを露ほども知らなかったのです。その人物は、叔父の義理の母でベッグス夫人という年配の女性でした。私の判決の日、母が息子の絶望的な判決のことで泣いていると、ベッグス夫人は母の肩を抱き寄せ、首を横に振ってこう言いました。「もし神がジョン・ニュートン(奴隷船の船長で、回心し「アメイジング・グレイス」を作曲した人物)の心を変えることができるなら、あなたの息子さんの心も、当然変えることができますとも。私は毎日、彼のために祈ります!」と。
実際、母がベッグス夫人に私の回心のことを伝えると、ベッグス夫人は何も驚きませんでした。実は母が伝える前に、ベックス夫人は既にそのことを知っていたと言うのです。「神がその日、私の心から重荷を取り除いてくださっていたので、私の祈りの戦いは勝利したと確信しました」と。そして「神様は、彼が将来、牧師になるように祈りなさいとも言われたのよ!」と母に告げたのです。とても母には信じられなかったのですが、そう、ベッグス夫人のその言葉は正しかったのです。
刑期を終えて出所した私は、プリズン・フェローシップの伝道師として働き始めました。その5年後、私は巡回伝道師として欧州中を旅するようになり、さらに12年後、英国の教会の牧師として招聘(しょうへい)され、定年までその任に就いたのです。
現在はアイルランドに戻り、アイルランド全土で伝道を続けています。そして今、このことはハッキリと断言できます。やり直すことのできない本当に絶望的な人生など、存在しないのです。
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ハレルヤ! 祈りは聞かれる。人には不可能でも、神にできないことはない。ハミルトン牧師がそうであったように、今夜、クリスマス礼拝のささいな出来事を通して、主が誰かの人生を完全に変えてくださるよう祈ろう。そう、主にあっては本当に絶望的な人生など存在し得ないのである。メリークリスマス!
■ アイルランドの宗教人口
プロテスタント 0・9%
カトリック 81・7%
聖公会 2・2%
イスラム 0・9%
無宗教 7・3%
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