スウェーデンの国民的作家セルマ・ラーゲルレーヴは、エルサレムに取材旅行に行った折、聖地をたどる中でイエス・キリストにまつわる伝説を拾い集め、心が洗われるように美しい11編の物語を書き上げた。その短編小説集である『キリスト伝説集』は、第1次世界大戦が勃発した際、「戦禍におびえる世界に投げかけられたたいまつの光である」と高く評価された。クリスマスの時期に一人静かに手に取って読みたい一冊である。
作者について
セルマ・ラーゲルレーヴ(1858〜1940)は、スウェーデン中部ベルムランドの旧家に生まれた。父親と祖父は軍人だったが、その前の代は牧師職にあり、郷土の精神文化を支える運動をしてきた。その血がセルマに受け継がれているといわれている。少女時代の彼女は、小児まひを患い、体が自由に動かせなかったので、家で家庭教師について学び、読書と創作に打ち込む日々が続いた。
成人すると、首都ストックホルムの教員養成所に学び、南部ランズクローナの小学校に勤めるようになった。この頃、懸賞小説に応募した『イェスタ・ベルリング物語』が入選し、文学への道が開かれた。作家生活に入ったセルマは、社会主義的傾向を持つ『アンチ・キリストの奇跡』、狂気に打ち勝つ愛を扱った『地主の家の物語』、聖地エルサレムに移住した農民の信仰を描いた『エルサレム』などによってその地位を確立した。
その後、スウェーデン教育会の依頼で母国の少年少女のために『ニルスのふしぎな旅』を著し、国を越えて高く評価された。その後間もなく、女性最初のノーベル文学賞受賞者となり、さらにノーベル文学賞の選考を行うスウェーデン・アカデミーの会員にも選ばれた。晩年のセルマは、祖父母が築いてきたスウェーデンの精神文化を伝え続けたが、やがて第1次世界大戦となり、戦争に巻き込まれていく欧州の運命に心を痛めつつ、平和を願いながら亡くなった。
あらすじ
本書には、「聖なる夜」「皇帝のまぼろし」「博士の泉」「ベツレヘムの子ら」「エジプトくだり」「ナザレの里」「神の宮」「聖ヴェロニカのハンカチ」「ムネアカドリ(こまどり)」「わが主とペトロ聖者」「ともしび」――の11編が収録されているが、ここでは主だった7編を紹介させていただく。
<聖なる夜>
一人の男が妻の出産のために火をもらいに来る。羊飼いは意地悪く杖を投げつけるが、男に当たらない。羊飼いが「いるだけ持って行きな!」と言って追い払おうとすると、男は素手で炭火を拾ってマントに載せて持って行ったが、やけど一つしない。不思議に思った羊飼いがその後についていくと、男の家は岩をくり抜いた洞穴で、中に敷かれたわらの上に彼の妻と赤子が寝ている。羊飼いは彼らがかわいそうになって、柔らかな白い羊の毛皮を取り出して男に与えると、その中に赤子を寝かせた。
その瞬間、羊飼いの目が開き、それまで見えなかったものが見え、聞こえなかったものが聞こえた。天使たちが周囲を取り囲んでおり、琴を奏でて歌いつつ、こう賛美した。「こよい、世の罪を救う救い主生まれたまえり」と。羊飼いは思わずその場にひざまずいて、感謝の言葉を述べた。
<博士の泉>
ユダヤの国の全てのものを枯らそうと、「カンバツ」が歩いていた。エルサレムに入ると、今にも干上がりそうな「博士の泉」と呼ばれる井戸を見つけ、それが枯れていく様を見て楽しもうと、その上にあぐらをかいた。そこへラクダに揺られた3人の旅人がやって来る。そして、居座っている「カンバツ」にこの井戸の名前の由来を尋ねた。すると「カンバツ」は、高座に上った噺家(はなしか)のように話し始めた。
――ガベスの町に貧しい3人の博士が住んでいた。一人は老人、一人はツァラアトに侵された病人、もう一人は黒人だった。ある晩、この3人が空を仰ぐと美しく輝く不思議な星が現れ、彼らはこの時刻に偉い王様が生まれたことを知った。そこで3人はその星をしるべに旅をすると、ヨルダン川の向こうのベツレヘムの町に着いた。星は道端の岩屋の前で止まったので中をのぞくと、母親に抱かれた赤子が見えた。道を間違えたのかと引き返すうちに、星は消えてしまった。
彼らは三日三晩国中を回って赤子を捜そうとしたが、星は現れない。やっとのことでこの井戸にたどり着いて水を飲もうとかがみ込むと、深い井戸の底にあの星が映っていた。そして星が3人を改めてベツレヘムの岩屋まで連れて行ってくれたので、彼らは救い主である幼子に、乳香と没薬に満ちた黄金の鉢をささげた。立ち上がると、不思議にも老人は若者になり、ツァラアト患者は健康な体になり、黒人は白い肌の美しい人になっていた。そして、それぞれの国に帰ってその国の王となった――
「カンバツ」の話が終わったとき、3人の旅人は、星を見せてくれたその井戸に3人の博士は何も恩返しをしないのかと問う。その時、「カンバツ」はこの3人の旅人の素性が分かり、ギャっと叫んで逃げて行ってしまった。この3人は水を積んだラクダを井戸の縁まで引いてくると、息も絶え絶えになっていた井戸になみなみと水を満たしてやったのだった。
<ベツレヘムの子ら>
ベツレヘムの城門に重いよろいを着け、やりを持ったローマの兵卒が見張り番をしていた。ある時、3歳くらいの男の子がやって来て、軽々と野原を駆け回っていたが、動けなくなったハチを巣に戻してやったり、ユリの花を夕立から守ってやったりした。それを見ていた兵卒は、「こんなやつが戦争に行くとなったらどんな始末になるんだ?」と、何とも知れぬ怒りにとらわれ、腹立たしくなった。
そんなある暑い日、太陽は兵卒のよろいやかぶとを照らしたので、彼は体が焼け焦げてしまうかと思うほどの苦痛を覚えた。すると、その男の子は両手のくぼみに水を入れてきて兵卒に飲ませてくれたので、彼の体力は回復した。その後すぐに、隊長がやって来て、ヘロデ王が2歳から3歳の男の子を皆殺しにするため、ベツレヘム中の男の子と母親を宴会に招く計画を話す。そしてその晩、宴会が行われた回廊で無残な殺戮(さつりく)が始まった。回廊中に恐ろしい叫び声が響き渡る中、一人の女が子どもを腕に抱いて駆けてくるのが兵卒の目に留まった。串刺しにしようと剣を構えた瞬間、1匹のハチが飛んできて目を刺した。その間に、母と子は逃げてしまった。
翌日、兵卒が城門で見張りをしていると、足早にやって来る男女がいた。女は着物の中に何か隠しているようなので、その中を見せるように強要すると、子どもがいると思ったが、それは白いユリの花束だった。仕方なく、男女が城門を通ることを認めるが、女がかかえていたのはユリの花束ではなく、確かに生きた本物の子どもだったのだという気がした。すると、部下4、5人を引き連れた隊長が、「門を閉じろ!やつらを逃すな!」と怒鳴りながら駆けて来たのだった。
兵卒はその男の子の家族の後を追って南へ旅を続ける。とある岩壁にアーチ形の洞穴が見え、入り口に2本のユリが咲いていた。そして、その上を無数のハチが飛んでいた。中に入ると、男と女と、あの男の子がぐっすり眠っていた。兵卒は剣を抜き、男の子の心臓を突き刺そうとしたが、その瞬間、ユリの花の中に潜んでいたハチが辺りを飛び回った。
その時、兵卒はあの男の子が助けてやったハチとユリを思い出し、しみじみ思った。ハチとユリは、あの子の恩に報いたのだと。そして、あの小さな子は、この自分が渇きに苦しんでいたとき、水をくれたのではないか。ローマの軍人たる自分が、受けた恩義に報いなくていいのか。彼は傍らに自分の剣を置いた。すると、男の子は目を覚まし、兵卒を見た。兵卒は男の子の前に膝をついて言った。「主よ、あなたは力ある方です。あなたは偉大な勝利者です。神に愛される人です。あなたこそは、ヘビとサソリを踏み得る方です」。そして彼は、男の子の脚に口づけすると、立ち去った。
<エジプトくだり>
砂漠に年取ったナツメヤシがそびえていた。そこへ2人の人間がやって来た。男と女で、女は腕に小さな子どもを抱いていた。ヤシは葉のざわめきを聞くうちに、なぜか昔を思い出した。国に帰るシバの女王とそれを送ってきたソロモン王が別れを惜しみ、女王は記念にヤシの実を地に埋め、自分の涙を注いで言うのだった。「ソロモン王にも勝る王がユダヤの国に現れる日まで栄えますように」と。
そのうち、葉のざわめきはいよいよ激しくなった。ヤシはこの2人が今にも死ぬように思われた。2人はヤシの実を取ろうとしたのだが、あまりに高過ぎて手が届かない。その時、小さな子どもはヤシの木に言った。「おじぎよ、ヤシの木!」 すると、ヤシの木は頭(こうべ)を垂れた。夫婦と子どもはヤシの実をいるだけ取って、まだヤシの木が横たわっているのを見ると、子どもは今度、「お起き、ヤシの木!」と言った。その時、ヤシは葉が死の調べをささやいていたのは自分のためだったと悟る。翌日、ここを通りがかった旅人は、ソロモン王より偉大な王を見た老いたヤシが枯れているのを見た。
<ナザレの里>
イエスが5歳になった時のこと、ナザレの父の仕事場で、向かいのつぼ作りからもらった粘土の塊で小鳥を作っていた。隣の家の前では、ユダが座り、同じように粘土細工をしていた。夕方になって夕日が路地に差し込んできて水たまりを美しく輝かせた。すると、イエスはその中に手を突っ込み、光をつかまえてそれで小鳥を美しい色で塗った。
これを見たユダは同じように水に手をひたしたが、日光を捕らえることができない。怒ったユダは、自分が作った小鳥を踏みつぶしてしまう。次にイエスの小鳥も踏みつけ、残るのは3羽になってしまった。残った小鳥のことを思うと、気が気でなくなったイエスは手をたたいて、「飛んで、飛んで!」と叫んだ。すると、粘土でできた小鳥たちは飛び立ち、安全な屋根の端にとまった。ユダはわっと泣き出し、髪をかきむしり、イエスの前に身を投げた。母マリヤはユダを起こし、ひざにかかえてさすってやり、言うのだった。イエスは神の子であり、私たちが張り合おうとしても無理なのだと。
<神の宮>
12歳になった少年は両親に連れられて、エルサレムの神殿に来ていた。そこには「世界の主の声」と呼ばれるラッパ、深淵に架けられた「楽園の橋」、そして黒い大理石で造られた「正義の門」など、不思議なものがあった。少年はそれらのものに気を取られて両親とはぐれてしまう。そんな時、負債が払えないという貧しいやもめを見、何とか助けてあげたい一心で少年は「正義の門」をくぐり抜け、彼女を助ける。
また、死にかけた息子の命を助けたくて貧しい老人が犠牲(いけにえ)の羊を持ってくるが、祭司に拒まれるのを見た。何とか助けたいと思った少年は、「楽園の橋」を渡ることができ、老人の犠牲は受け入れられる。最後に、聖者の弟子になりたくて名前を偽ってやって来た若者が追い返されそうになるのを見た少年は、深い憐(あわ)れみで心がいっぱいになり、これを助けようと「世界の主の声」なるラッパを吹き鳴ならした。そして、若者は聖者の弟子となることが許された。
そこへいなくなった息子を捜しに両親がやって来た。少年は、神の神殿の中で学者たちと語り合っていた。母親は泣きながら愛する息子を抱きしめ、彼がもう自分のものではないことを心に刻むのだった。
<ムネアカドリ(こまどり)>
神様が世界を造られたとき、全てに名前を付けて祝福された後、小さな灰色の鳥を造って言われた。「おまえの名はムネアカドリだよ」。小鳥は「くちばしから尾の先まですっかり灰色なのに、なぜ私の名前はムネアカというのでしょう?」と尋ねた。すると神様は「私がムネアカドリと決めたのだから、おまえの名前はムネアカドリなのだよ。だが、おまえの心がけ一つで、赤い胸毛をもらえるようにもなるのだよ」とおっしゃった。
その日、ムネアカドリは、エルサレムの城壁の外にある小さなはげ山で、低い野バラの茂みの中にある巣にこもり、ヒナたちに歌を聞かせていた。すると、突然城門が開き、大勢の人たちが小鳥の巣がある丘に登ってきた。それは兵卒と刑吏たち、そしてわいわいとわめき続ける群衆だった。その後ろから、泣きながら女たちがついて来た。兵卒や刑吏たちは、重い十字架を担いできた囚人たちの服を剥ぎ取ると、囚人たちをその十字架に釘付けにしたのだった。
ムネアカドリは、この様子をヒナたちに見せまいとして羽を広げてかばいつつ、「人間は何てむごいことを!」と言った。真ん中の十字架の人が茨の冠をかぶせられ、額に茨が刺さっているのを見たムネアカドリは、胸がつぶれるような思いになった。そして、小さな鳥であっても、この苦しんでいる人のために何かしてあげる方法はあるはずだと、巣を飛び立ち、大きな輪を描きながら、十字架の人の周りを舞った。
臆病な鳥で一度も人間のそばに行ったことがなかったので、その小さな体は震え、くじけそうになった。しかし、次第に勇気が出てきて、そのそばまで飛んでいくと、十字架の人の額に刺さったとげをくちばしで引き抜いた。その時、十字架の人の血がひとしずく小鳥の胸に落ち、それは見る見る広がり、柔らかな胸毛をすっかり染めてしまった。
すると、十字架の人の唇から、優しい言葉がささやかれた。「おまえの親切な心のおかげで、おまえの一族が世の初めから求めてきたものを今こそおまえは得られたのだよ」。小鳥が巣に戻ると、ヒナたちは「胸が赤いよ、胸毛が野バラの花よりももっと赤いよ!」と叫び立てた。それ以来、小鳥がどんなに水を浴びても赤い色は消えず、この鳥のヒナたちが大きくなってもやはり、その胸毛にはこの赤い色が輝いていたのだった。それでこの鳥は、今日に至るまでムネアカドリ(こまどり)と呼ばれている。
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栗栖ひろみ(くりす・ひろみ)
1942年東京生まれ。早稲田大学夜間部卒業。80〜82年『少年少女信仰偉人伝・全8巻』(日本教会新報社)、82〜83年『信仰に生きた人たち・全8巻』(ニューライフ出版社)刊行。以後、伝記や評伝の執筆を続け、90年『医者ルカの物語』(ロバ通信社)刊行。また、猫のファンタジーを書き始め、2012年『猫おばさんのコーヒーショップ』で日本動物児童文学奨励賞を受賞。15年より、クリスチャントゥデイに中・高生向けの信仰偉人伝のWeb連載を始める。20年『ジーザス ラブズ ミー 日本を愛したJ・ヘボンの生涯』(一粒社)刊行。現在もキリスト教書、伝記、ファンタジーの分野で執筆を続けている。