「麗しさはいつわり。美しさはむなしい。しかし、主を恐れる女はほめたたえられる」(箴言31:30)
一般的に、女性は結婚すると姓が変わります。すると、結婚前は予想もしなかったことが自分の身に起こります。
例えば「まり」さんという名前の女性が「小田」さんという男性と結婚するとズーッと「お黙り!」と言われ続けます。
「水田」さんと結婚すると「みずたまり」となり、「加田」さんと結婚すると「かたまり」となります。
聖書を記録した聖書記者たちも、女性の名前のことで苦労をしたのではないかと思います。
当時の人々は、姓名の姓がありません。そして、同じ名前の人がたくさんいました。例えば「マリヤ」は当時ごく平凡な名前でしたので、新約聖書には「マリヤ」という女性が何人も登場します。そこで、聖書記者はいちいち説明しなければなりませんでした。
「主イエスの母マリヤ」「マグダラのマリヤ」「ベタニアのマリヤ」「ヤコブとヨハネの母マリヤ」「マルコと呼ばれるヨハネの母マリヤ」。その他、パウロの知り合いにも「マリヤ」という女性がいました(ローマ16:6)。
聖書は、イエスのそばにいて助けたのは男性たちばかりではなく、女性の弟子たちもいて重要な役割を果たしていたことを記しています。「また、悪霊や病気を治していただいた女たち」として具体名を挙げています(ルカ8:2、3)。
「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリヤ」。「7つの悪霊」の「7つ」とは頭数のことではなく、むしろ「非常に強度な」という症状の程度を表している象徴的な数です。「マグダラ」は、彼女の出生地の地名です。
次に「ヘロデの執事クーザの妻ヨハンナ」。彼女の夫は領主ヘロデ・アンティパスの財産を管理するクーザという高級官僚です。もうすでにイエスの教えが上流社会の人々にも影響を与えていたことが分かります。
高級官僚の妻がイエスの弟子となって一緒に旅をしているということは、彼女は夫と家を捨ててイエスに従っているということです。もしかしたら信仰を持ったことで夫に離縁されたのかもしれません。
そして「スザンナ、そのほか大ぜいの女たち」と記されています。男たちも家や仕事(漁師、取税人など)を捨ててイエスに従っていたのですが、女たちもまた大きな犠牲を払ってイエスに従っていたのです。
イエスがローマの兵士たちに捕らわれたとき、男の弟子たちはイエスを見捨てて逃げましたが、彼女たちは主イエスと共にいてイエスの十字架の死と復活の目撃者、証人となったのです。そして、ペンテコステの日に聖霊を待ち望んで祈る人々の中に、彼女たちもいたのです。
ところでイエスが男の弟子たちを2人ずつペアにして宣教に送り出されるのですが、その時残った女性陣は何をしていたのでしょうか。福音書には、出て行った男たちはイエスの御名の権威によって病気の人々を癒やしたり、悪霊につかれた人々を解放し、帰ってきてイエスにそれを報告したことなどが克明に記されています。
しかし、その間残された女性たちのことは記されていません。男がいなくなった後「やれやれ、面倒くさい男どもがいなくなってホッとしたわ。これでノンビリできるワ」と言って、皆でワイワイガヤガヤ言いながらお茶を飲んでいたと思いますか。私にはそうは思えません。
彼女たちも宣教したと思います。もし彼女たちが宣教していなければ、これほど多くの女性の信者はできなかったと思います。男たちが宣教に派遣された後、彼女たちも近所に出かけていって、女性や子どもたちにイエスの話をしたのだと思います。
「自分の財産をもって彼らに仕えている」という表現があります(ルカ8:3)。直訳すると「自分の持っているものから仕えていた」となります。そして「持っているもの」は「備わっているもの」とも訳せる言葉です。従って「持っているもの」というのは、品物やお金のような財産を表すだけでなく、もっと広い意味で使われる言葉です。
例えば、私たちの身に備えている品性、能力、才能、賜物なども表すのです。つまり「自分の持っているものから仕える」というのは、物質的なものだけでなく、内面に宿る品性をもってしても神に仕えることです。
このように、イエスの周囲には「自分の持っているものから仕える」多くの女性たちがいたのです。そして、この後ペンテコステの後のイエスの弟子たちによる福音宣教においても、女性の働きは大きな役割を果たすことになるのです。
ペテロの妻は、ペテロの伝道旅行に同行しました。ペテロを大いに助けたことでしょう。独身のパウロの周囲にも「自分の持っているものから仕える」女性たちがたくさんいました。パウロと同じ天幕作りの職業をしているご夫妻、アクラとプリスキラもパウロの働きに協力しました。
パウロはピリピ人への手紙の中で、協力してくれている女性たちの名前を挙げています。「ユウオデヤ」「スントケ」「クレメンス」。またパウロが書いたローマ人への手紙をローマに届けたのも「フィベ」という女性でした。
まさに、神の国の働き人に男も女もありません。イエス・キリストの恵みの御業に触れ、その喜びと感謝の心から「自分の持っているものから仕える」人々によってなされてきたのです。
そして、この女性の信仰者列伝は日本の宣教の歴史にも見ることができます。細川ガラシャ、新島八重、広岡浅子、荻野吟子、津田梅子、澤田美喜、三浦綾子。この他にも多くの信仰の女性たちがいます。彼女たちはそれぞれ「自分の持っているもので主に仕えた」人たちです。
この日本の女性信仰者列伝に、あなたもぜひ加わってください。今も昔も、これらの女性の働きなしには神の国の働きは進んでいかないからです。
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