オンライン上で利用できる対話型AI(人工知能)「ChatGPT」を使ってさまざまなことを試みることが流行しています。ネット空間だけではなく、テレビのニュースでも話題になっているほどです。
そこで、私は自身のライフラークである新約聖書・マルコ福音書14章51~52節の「逃亡する若者」の「妥当な解釈」について、ChatGPT に聞いてみたくなりました。
まず「逃亡する若者」を扱った私の著作『「福音書」解読』を、ChatGPT がどう評価しているか知りたく思い、以下の質問をしました。
「マルコ福音書に何カ所か登場する若者について、溝田悟士氏はどういう見解を持っていますか?」
すると、下記のような答えが返ってきました。
申し訳ありませんが、私は人工知能のチャットボットであり、個人の意見や信念を持つことはできません。ただ、お答えできることと言えば、マルコ福音書に登場する若者というのがどのような人物なのか、彼らが登場する箇所についての情報を提供できます。もしその情報が必要であれば、お知らせください。
残念ながら、ChatGPT はまだ私の本を「読んで」(学習して?)はいないようです。しかし、マルコ福音書の「若者」についての情報は提供できるとのことですので、まずはギリシャ語についての質問をしてみました。
「マルコ福音書の若者はギリシャ語ではどう言いますか?」
マルコ福音書に登場する若者には、いくつかの人物がいますので、それぞれの若者のことばは異なりますが、一般的には「若者」を意味するギリシャ語「νεανίσκος」(neaniskos)が使われています。
ChatGPT は新約聖書のギリシャ語を適切に処理できるようです。次に、ChatGPT がマルコ福音書を「一巻の物語」として認識できるか、ということが気になってきます。そこで、次のように聞いてみます。
「マルコ福音書に neaniskos はどこに登場しますか?」
「若者」を意味するギリシャ語「νεανίσκος」(neaniskos)がマルコ福音書に登場する箇所としては、以下のような場面があります。
マルコ福音書10章17節
この箇所では、イエスが旅をしていたところに、金持ちの若者が走り寄って来て、救いについて尋ねます。この若者は「νεανίσκος」(neaniskos)として言及されています。マルコ福音書14章51~52節
イエスが逮捕された時、ある若者が薄手の亜麻布を身にまとって裸足で逃げ去りました。この若者も「νεανίσκος」(neaniskos)として言及されています。マルコ福音書16章5節
イエスが復活したとき、空っぽの墓に入っている若者が現れ、マリア・マグダラと他の女性たちにイエスの復活を告げました。この若者も「νεανίσκος」(neaniskos)として言及されています。以上のように、マルコ福音書にはいくつかの場面で「若者」として言及される人物が登場しています。
ChatGPT は、適切な指示を与えると、物語テクストの中から適切な語を抽出してくることができるようです。しかしこれでは、それぞれの登場人物がなぜ登場しているのか、場面間の関連を想定するような力があるかどうかは分かりません。
そこで、単刀直入に次の質問をしてみました。
「これらの若者が同一人物だと仮定したら、マルコ福音書はどういう解釈ができますか?」
これらの若者が同一人物であるという仮定をすると、マルコ福音書のストーリーに新たな意味が生まれる可能性があります。ただし、これは仮説に過ぎず、明確な証拠は存在しません。
仮に同一人物であるとするなら、この若者は救いについてイエスに尋ねた後、イエスに従って彼と共に旅をしていたと考えることができます。その後、イエスが逮捕された際には、恐怖に駆られて逃げ去ったことが説明できます。最後に、イエスが復活した際には、墓の近くにいたため、イエスの復活を告げることができたと考えることができます。
このように解釈することで、この若者がイエスの教えに従い、彼と共に旅をしていたことが示唆されます。また、逮捕という試練に直面した際に、彼が恐怖に駆られて逃げてしまったことも示されます。最後に、復活によってイエスが再び現れたときには、この若者がその場にいたことで、イエスの復活を伝えることができたという意味が生まれます。
しかしながら、これはあくまで仮説であり、明確な証拠は存在しません。それぞれの場面が独立しているため、この若者たちが同一人物であるかどうかを断定することはできません。
いかがでしょうか。断定はできない、としながらも、マルコ福音書に新たな「知見」である「文脈」に沿った読み方を、ChatGPT は提示していないでしょうか。
もしかすると、ChatGPT の登場は、「正しい聖書の解釈とは何か」という疑問が私たちに突き付けられている危機であるかもしれませんし、同時に適切にプロンプトを作成すれば、人間くさい「しがらみ」「学派」「教派神学」などの「固定観念」によらない、まさに「中立的」な聖書解釈を導き出してくれるツールになるのかもしれません。
今後が楽しみです。
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