映画の冒頭、新約聖書の次の一節が浮かび上がる。
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である」(マタイによる福音書7章12節)
そして、映画のタイトルである「ロストケア」の「ト」が赤い十字架となってまず浮き出て、それからタイトル全体が表出する。
映画「ロストケア」は、そんなオープニングとなっている。この聖句が映画全体を貫くモチーフになっていることは、ここまでの開始1分で明らかである。
日本映画において聖書の言葉が用いられるとき、それは聖書が語るメッセージを敷衍(ふえん)するものではない。むしろ字面として人々の興味や関心を引くための格言的な役割をこれに担わせ、作品の質を高めようとする意図が透けて見える。本作もそれは同じだ。
物語は、訪問介護センターの所長を務めていた男性が、介護先の民家で高齢者と共に亡くなってしまうという事件から始まる。この男性は、介護者の家の鍵を預かれる立場にあったため、寝たきりや認知症の老人宅に深夜に出入りし、金品を物色するという犯行を繰り返していたのである。
事件性が高いことを察知した警察は、彼と同じ家で亡くなっていた高齢者の体を調べ、その結果、老人が人為的に安楽死させられていたことを突き止める。いったい誰が老人を殺害したのか。なぜ所長の男性は老人の殺害現場で亡くなっていたのか。
本作は、いわゆるミステリーの体を取りながら、物語が進められていく。
この事件を検事として担当した大友秀美(長澤まさみ)は、訪問介護センターで献身的に働く介護士、斯波(しば)宗典(松山ケンイチ)の言動に不審感を抱く。彼が非番の時に限って、この施設に登録している老人たちが亡くなっているのである。皆、障がいや認知症のある高齢者であっため、十分な検死をされることなく火葬されていた。やがて大友は斯波が関与したとみられる「安楽死」が42件にも上ることを突き止める。そして彼女は斯波と対峙し、なぜこれほど多くの人を殺したのか問い詰めるのだった。
しかし、この問いに対する斯波の答えは驚くべきものだった。
「僕は42人を救いました」
彼は、高齢者と介護する家族の重荷を取り除く「汚れ役」を自分は果たしていたのだ、と主張したのである。それを彼は「ロストケア(喪失の介護)」と呼んだ。
ここで冒頭の聖句が印象深く挿入されることになる。本作では、「人にしてもらいたいと思うこと」の中身が、高齢者にとっては「人間として尊厳を持ってこの世を去らせてもらうこと」であり、家族にとっては「家族の絆を理解できるうちに見送らせてもらうこと」となっている。現代は、これらができなくなりつつある現実がある。
介護される側は、だんだんと自分がそれまでの自分ではなくなっていくことを意識せざるを得ない。介護する家族は、かつて愛していた父母、祖父母が自分たちのことを忘れていく中、それでも彼らの排せつや食事の世話をせざるを得ない。そんな地獄のような日々から人々を「救ってあげた」のだと斯波は主張したのである。「あえて絆を断ち切る(失わせる=ロスト)」ことによって、互いを解放してあげているのだと言うのだ。
現在、全国民の3割を65歳以上が占める日本において、介護にまつわる問題は決して他人事ではない。介護する側もされる側も、それぞれの思惑があり、願いがあり、それが微妙にすれ違ってしまうのが現実である。私も6年前に父を、そして昨年母を天に送った。そこに至る過程で、しっかりと息子として寄り添えたかというと、正直そうではない。「申し訳ない」という気持ちと、「ほっとした」という気持ちが複雑に絡み合っていたと思う。
劇中、長澤まさみ演じる検事の大友が、この世界には「見えるものと見えないもの」ではなく、「見たいものと見たくないものがある」のだと語る。
本作は、大友の言う「見たくないもの」を見せつけられる映画である。そして、高齢者と向き合ったことがある者(介護したかしなかったかによらず)にとって、鋭い痛みを伴う内容となっているだろう。少なくとも私にとって、これは他人事ではなかった。
だが同時に、本作を見終わって改めて冒頭の聖句と向き合うとき、そこにはまた違った光が私たちに差し込んでくることに気付かされるだろう。確かに現在、介護は大きな社会問題となっており、日本の将来に暗雲を呼び込む問題の一つだろう。しかしだからこそ、「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という聖書の言葉を受け止め、今からできることがあるのではないか。そう思わされる。
クリスチャンは互いを「神の家族」と称する慣例がある。キリストによって救われた人は皆、将来天国へ行ける仲間である。だから、さらに強い絆で「家族」と呼び、教会では「○○兄弟」「○○姉妹」と呼び合うこともある。今からできることとは、この「神の家族」として互いに愛し合うことを文字通り行い、その働きを教会の柱の一つに据えて社会に広げていくことに尽きるのではないか。「共生」ということについて、私たちは真剣に考える時代に突入しているのではないだろうか。
「人にしてもらいたいと思うこと」が「ロストケア」になりつつある現代だからこそ、教会が「共生」について真剣に議論し、互いに支え合う社会基盤を生み出すことは急務である。互助会のようなシステムでもいい。または、里子制度を導入するのでもいい。一つの教会でできないなら、志を同じくする諸教会、諸団体が協力する形で、この地に真の「ケア」を生み出す努力をすべきではないだろうか。
本作はミステリーとしては少し弱いが、人間ドラマとしては秀逸である。同時に、どの年代の人が見てもきっと心に刺さるだろう。そして、語り合うことができるだろう。
映画「ロストケア」は24日(金)から、全国ロードショーされる。
■ 映画「ロストケア」予告編
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