継続的な傾聴を行う「善き隣人バンク」の働きが拡大し、多くの方から、さまざまなお話を聴かせていただけるようになりました。お話の内容はさまざまですが、私と同じ世代の男性たちの中には、リタイア後に生きがいを見いだせず、苦しんでいる方がおられます。
リタイア後の人生を楽しめない
長年、企業などで忙しく働き、リタイア後には、自由で快適なセカンドライフを送ろうと楽しみにしていた方が、退職後、思ったように人生を楽しめず、うつ状態に陥ることがあるようです。
健康に問題はなく、趣味もそれなりにあり、人間関係が壊れているわけではないのですが、何をしても充実感がなく、楽しい毎日を送れないらしく、本人にも原因が分からないのが一層大きなストレスになるようです。
課題解決型の人生
私たちが経験する働きのほとんどは、モノやサービスを通し、この世の課題を解決することを目的にしますので、その中で働く人は、常に課題に向き合い、対策を検討し続ける人生を送ることになります。いわゆる課題解決型の人生です。
対策が功を奏し、実際に優れたモノやサービスを提供できると、達成感が得られ、経済的にも恵まれますが、新たな課題は常に生まれてきますので、ずっと課題に向き合い続けることになります。
このような課題に向き合う習慣が身に付くと、リタイア後の人生においても、社会、家族、友人関係の中に新たな課題を見いだすようになると思います。
もちろん、それらの課題を解決するために新たな活動を起こし、活発なセカンドライフを送る人もいるでしょう。しかし多くの場合、現役時代とは土俵が違いますので、以前のような働きは難しく、課題ばかりを見つめて滅入ってしまうような気がします。
課題の渦中で充実感を得る
課題を見いだして向き合うとは、ある面、現実を否定することにもなりますので、課題をうまく処理できないと、自分の置かれた現実を受け入れられないつらい状況も起こり得ます。課題に立ち向かい、新たな活動を始めることを勧める声をよく耳にしますが、年齢とともに体力は衰え、活動的な働きは難しくなるものです。
最も大切なことは、置かれた環境や活動の有無とは関係なく、弱さを抱え、課題の山積する渦中にあっても、充実した人生が送れる秘訣を得ることだと思います。
弱さの中に完全な解決がある
この世界で、社会に最も良い影響を与えた方は、イエス・キリストだといわれています。彼は、わずか33年ほどの人生を通し、それ以降2千年にわたり、世界中の人々にあふれるばかりの祝福を届けてきました。
彼の人生における最も大きな成果は、混乱した世界の課題を一身に受け、彼自身が十字架にかかって死ぬことを通し、神様の愛を示したことでした。彼はその目的を達成し、十字架の上で息を引き取るとき、「完了した」と言われました。彼が「死」の弱さを担われた故に、神様の愛は世界中に届けられることになったのです。
イエスは酸いぶどう酒を受けると、「完了した」と言われた。そして、頭を垂れて霊をお渡しになった。(ヨハネの福音書19章30節)
また、パウロは生涯の最後をローマの監獄で過ごしましたが、不自由な捕らわれの身でありながら書いた獄中書簡(ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、ピレモンへの手紙、エペソ人への手紙)は、多くの人を励ましてきました。
何より、獄中のパウロを監視していたローマ兵たちが、パウロの弱さを通し、偉大な神様を信じていったとも伝えられています。
私たちが、この世の課題の渦中で弱さを覚えるとき、現実を否定したり、活動のできない自分を憂えたりするのではなく、そんな時こそ、私たちの内におられる神様(聖霊)に心を向け、神様の御業を期待したいものです。神様は、私たちの弱さを通し、人の思いをはるかに超えた完全な解決を、恵みによって備えてくださるでしょう。
しかし主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである」と言われました。ですから私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。(コリント人への手紙第二12章9節)
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