ヤコブとヨハネが、イエスのところに来て言った。・・・「あなたの栄光の座で、ひとりを先生の右に、ひとりを左にすわらせてください。」しかし、イエスは彼らに言われた。「あなたがたは自分が何を求めているのか、わかっていないのです」・・・「あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖(あがな)いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです」(マルコ10:35~45)
紅葉の美しい清々しい秋の季節になりました。そんな中で神様の前に私たちの心も、喜びと感謝と賛美にあふれて、神様から見ても美しい心でありますように。神様の霊的な目は、私たちの心の内をも見えています。神様が一番気にかけておられるのは私たち人なのですから、神の御心にかなう生き方ができるように、私たちの魂の状態を整えてまいりましょう。
どんなときも救い主イエス様を信じ続ける者でありましょう。毎日の生活の中では、良いことばかりではなく、つらいことや悲しいこと、頑張ってもなかなか成果が出なくて心が落ち込むこともあります。しかし、日々まことの神様と歩むならば、必ず祝福されて意義深い価値ある毎日に変えてくださいます。
クリスマスは、神の御子である救い主イエス・キリストが、私たちのために人としてお生まれくださったことをお祝いするときです。この機会に、イエス様にスポットライトを当てて、本物のクリスマスにたくさんの人をお誘いしましょう。
初代教会の時代、ものすごい勢いで福音が世界中に伝わったのは、信徒たちの証しの力によるものでした。私たち一人一人も、福音を恥とはしない堂々とした姿勢でキリストを証ししてまいりましょう。
今日の聖書箇所は、イエス様が神の御子であるにもかかわらず、この世に人として現れてくださった理由を語ります。ここから3つのポイントを押さえておきましょう。
1. 自己犠牲による栄光の成就
ゼベダイの子のヤコブとヨハネがイエス様に、あるお願いをしました。それは、イエス様が栄光の御座につかれたとき、自分たち2人をイエス様の右と左の座につかせてください、という願いでした。しかし、彼らが願う栄光と、イエス様の栄光の時は全く違っていました。
弟子たちは、権威があり、地位・権力を持つ王様や大臣になることを願いましたが、イエス様の考える栄光の時は十字架での死でした。イエス様は、私たちを救うために自らの命をささげて神の栄光を実現されたことを忘れてはなりません。
2. へりくだられる救い主
他の10人の弟子たちが、自分たちを出し抜いてイエスにお願いしたヨハネとヤコブに腹を立てたのは、彼らも同じようなことを思っていたからでした。しかし、イエス様は「偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい」(43節)と言われました。
また、ピリピ2:7には「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました」とあります。主は、へりくだり仕えることを教えて、私たちに素晴らしい模範を示してくださったのです。
3. 私たちの罪の贖いとなられたお方
私たちを罪と悪から解放して自由にするために、イエス様が命を捨てて、身代金を払ってくださいました。そこまで私たちを愛して救ってくださったのです。
イエス様のご誕生を祝うクリスマスの「おめでとう!」は、イエス様のためではなく、実は私たちのための「おめでとう!」なのです。この「おめでとう」の意味の深さを忘れないで、イエス様を愛し続けてまいりましょう。
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