・・・私たちの裂くパンは、キリストのからだにあずかることではありませんか。パンは一つですから、私たちは、多数であっても、一つのからだです。それは、みなの者がともに一つのパンを食べるからです。・・・偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。・・・(コリント人への手紙第一10章14節〜22節)
世の中は日進月歩で、先日は、日本の研究チームがインフルエンザに対する万能ワクチンの開発に成功したようです。すばらしい医学や科学技術の発展です。
でも同時に、アメリカでは、死んだ犬をクローン技術によって再生し、いまや人間のクローンを誕生させることもできるというニュースを知り非常に不安を感じました。
DNAは同じでも、誰かのコピーとして生きることはできないし、コピーとして愛されてもその人自身の価値はどうなるのでしょうか。命の与え主である神がいてこそ、私たちは本当の人となることができます。自分は神に愛され、キリストの命により罪あがなわれた尊いかけがえのないものであり、一生懸命生き抜く価値のある命であると受け止めたときに、人は本当の輝きを放つのです。
パウロが生きた時代も色々な文化や知識が入り乱れ、変化の激しい時代でした。その中で、パウロは、クリスチャンたちが持つべき姿勢について語りました。
私たちもイエスを信じる本物の信仰を体験するために、3つの秘訣を学んでいきたいと思います。
1.たったひとつの真理にこだわる
パウロは、パンはひとつですから、私たちは多数であっても、ひとつの体であると語ります。人の考えは多くあっても、私たちが受け止めたいのはキリストの御心、様々なノウハウがあっても、私たちが生きるのは、クリスチャンとしてのライフスタイル、私たちが選ぶべきものはひとつなのです。
現代は多元主義で、それぞれの個性を認め合う時代ですが、その結果人類は、破壊と死が隣り合わせの不幸な生き方になりました。個性は大切です。しかし、この個性溢れる命は、ただお一人の神から与えられたものであることを忘れてはいけません。
世の中には、良い宗教もたくさんあります。しかし、イエス・キリストだけが、私たち全員の罪を直接身に背負って、私たちが滅びないように、代わりに刑罰を受け、死の力を打ち破って永遠の命を与えて下さったのです。この主イエスにこだわるものになろうではありませんか。イエスと結びつき、たったひとつの本当の救いにこだわりましょう。
2.霊的な意味にこだわる
自分に合わせて都合のよい偶像を神とすることの恐ろしさは、偶像に力があるのではなく、私たちの心が真の神から離れ、悪の力や悪霊の働きの影響を受ける者になってしまうことにあります。
礼拝は単なるスタイルではありません。私たちは単なる形で教会に来ているのではなく、ここで神の愛に触れ、聖霊の働きに触れているのです。ここに生み出す形は、形で終わるのではなく、その向こうに霊的な真実を生み出すのだということを知りましょう。
聖餐式のパンとぶどう酒を頂くとき、そのパンやぶどう酒の成分や形式に何か意味があるのではなく、私たちは霊の世界においてイエスご自身を心の中に迎えているのです。その霊的な真実にこだわりたいと思います。
十字架の救いの物語も単なる論理ではなく、霊的な真実になるのです。パウロも、私が罪人の頭で、その私をイエスは救ってくれたのだと語り、キリストの十字架の霊的な真理を自分のものとしています。私たちも、目に見える形や儀式で終わるのではなく、そこに込められた真に霊的なものに目を向けましょう。
3.真の神に結びつく生き方へと整える
色々な変化や新しいものが私たちの生活の中に入り込みます。それでいいんだと、みんなささやいています。しかし私たちは、そういう悪魔のささやきに負けず、聖霊に従い、神に喜ばれる生き方を選び取りましょう。
日々の生活の中で、憎んだり呪ったり文句を言うことよりも、愛し感謝し喜ぶ生き方を選びましょう。主が私たちを導いて下さいますから、ギャンブルやお酒にお金や時間をつぎ込んだり、何かでお金を使い続けなければ楽しくない生活からは聖められ、悪魔の力に従うのではなく、聖霊に従う道を選び取ろうではありませんか。
聖霊によって「私の救い主はイエスです」と心から告白しましょう。その告白をもってこの2月を歩むときに、私たちは絶対に迷うことはありません。人を愛し、喜ばしいことや聖い生き方を選び、正しい生き方を選び取っていきましょう。私たちはクリスチャンとして前進していきましょう。
万代栄嗣(まんだい・えいじ)
松山福音センターの牧師として、全国各地、そして海外へと飛び回る多忙な毎日。そのなかでも宗教を超えた各種講演を積極的に行っている。国内では松山を中心に、福岡、鹿児島、東京、神戸、広島、高松にて主任牧師として活動中。キリスト教界のなかでも、新進気鋭の牧師・伝道者として、注目の的。各種講演会では、牧師としての人間観、ノイローゼのカウンセリングの経験、留学体験などを土台に、真に満足できる生き方の秘訣について、大胆に語り続けている。講演内容も、自己啓発、生きがい論、目標設定、人間関係など多岐にわたる。
また、自らがリーダー、そしてボーカルを務める『がんばるばんど』の活動を通し、人生に対する前向きで積極的な姿勢を歌によって伝え続け、幅広い年齢層に支持されている。
国外では、インド、東南アジア、ブラジル等を中心に伝道活動や、神学校の教師として活躍している。