1987年に殺人を犯して33年間服役した男性が、刑務所伝道に携わり、数百人の受刑者をイエス・キリストに導く手助けをしている。
元受刑者のスタンリー・スティーバーさん(52)は、2009年に米オハイオ州ウェスタービルで設立された刑務所伝道団体「カインドウェイ」(英語)で奉仕している。
スティーバーさんは、米キリスト教メディア「クリスチャンポスト」(英語)のインタビューに応じ、自身が犯した殺人の罪を神が赦(ゆる)してくれたこと、そして犯罪を犯した人々がイエス・キリストを通して神と和解できる希望があることを信じていると語った。
まるで心臓手術を受けたようなもの
「クリスチャンになったことは、まるで心臓移植を受けたようなものでした。自分に新しい心があることを理解できるようになったのです。しかし、その新しい心には新しい責任が伴うのです」とスティーバーさんは語る。
スティーバーさんは1999年、フロリダ州マリオン郡にあるマリオン刑務所に収監されていたときにクリスチャンになった。他の受刑者らに自分の証しを話すようになったスティーバーさんは、自分が癒やされていることに気付いたという。自身の贖(あがな)いの話を通して多くの人の人生が変わったことは、驚くべきことだと語る。
「私は、『赦しとは忘れることではない』という言葉を何度か聞いたことがあります。これは、小羊の血と証しの言葉によって敵に打ち勝つことを意味するのです。しかし、敵があなたを通して行ったことを決して忘れてはいけません。それは、あなたがキリストを通して他の人に御言葉でキリストの力を示すためなのです」
いじめられ、孤立した学校時代
スティーバーさんは、自分の問題だらけの過去を振り返り、多くの要因が殺人を犯すに至らしめたと考えている。
10代の頃のスティーバーさんは、深い怒りを内に秘めていた。また、いじめられっ子でもあり、学校では仲間から孤立していたという。
「いつもからかわれていました。私は他の子たちより体が大きく、名前がスタンリー・スティバーだったことから、『スタンリー・スティーマー(蒸し器のスタンリー)』と呼ばれていました。学校で笑い者になっていました。それで毎日、学校に行くのが嫌でたまりませんでした」
「学校に行くと、一日中、からかわれたり、けなされたりするんじゃないかと不安になり、体調が悪くなりました。そして実際に、その時に初めて怒ったり、激高したりするようになり、まだ子どもでしたが、考え方が変わりました」
家庭には大きな問題はなかったが
オハイオ州のシカモア北部で育ったスティーバーさんには、女6人、男1人のきょうだいがいた。父親と母親は仕事人間だった。両親はお金を稼げば稼ぐほど、家族の生活が豊かになると考えていたため、スティーバーさんは両親のことを「古くさい」と考えていたという。
若い頃のスティーバーさんは、母親との関係が良好で、無私の心を持つ母親を人格的な模範として尊敬していた。
「しかし、模範となる人を持つということは、自分もそういう器になりたいと思うものですが、私はそうではありませんでした」
父親も女性を尊重し、家族を愛する模範的な人物だったという。しかし、父親がスティーバーさんを叱ることはなかった。
「私が何か失敗したり、悪いことをしたりすると、『男の子は男の子だ』とか、『そのうち変わるさ』とか、そんなことばかり言っていました。父は私がどんな思いをしているのか、分かっていなかったのです」
「学校で起こるさまざまなことを除けば、普通の子ども時代だったといえるかもしれませんが、みんなにバカにされているような、いつもけなされているような気がして、私はいつも混乱状態にありました」
いじめが放置された1970年代
1970年代に育てられたことで、学校生活がうまくいかなかったとスティーバーさんは言う。米国では当時、いじめに対するカウンセリングや学校側の介入は一般的ではなかったからだ。
「当時よく言われていたのは、『棒や石が骨を折ることはできても、悪口が人を傷つけることはない』『戦う備えをして、男らしくしなさい』というものでした。こういうことが、それ(いじめ)を経験する男の子たちに言われる言葉だったのです」
「私は心を閉ざしました。人が嫌いになりました。人と一緒にいるのが嫌になりました。自分が経験していたことに対する対処法が分からず、いろいろなことをしでかしました」
思春期に入ったスティーバーさんは、高校に通い始めたが、いじめは続いた。痛みを隠すために、薬物とアルコールに手を出した。
「マリファナ、ビール、ウイスキー、コカイン、LSD(麻薬)、武器、お酒など、目の前にあるものなら何でもやりました。自分が嫌いで、自分のすべてが嫌いで、その苦痛を取り除くためなら何でもやりました」
「怒りと暴力が内面に蓄積され続け、そこから解放されることはありませんでした。そのため私は孤立し、自分が嫌いになりました」
薬物、アルコールに頼る日々、そして・・・
薬物やアルコールをやることで、短期間なら苦痛から離れられるような気がしたとスティーバーさんは語る。「嫌な自分でなくなることができました」
「嫌な人間でなくなることで、私は自分を取り繕うことができるようになったのです。その日その日に、なりたい自分になれるようになりました。意地悪で、憎らしく、恨みがましいやつにもなれました。カメレオンのような自分になったのです」
「また、わがままや自己顕示欲もありました。人生のその時期に付きまとうものは、すべて自分に付きまといます。ですから、わがままや自己顕示欲が私に付きまといました」
それから約2年後、17歳になったスティーバーさんは、ため込んでいた怒りが爆発し、殺人を犯す。逮捕され、裁判を受けている間に18歳になった。
その結果、成人として裁判にかけられ、最低20年の禁錮刑、最長で終身刑という判決を受けた。そして2020年10月に出所するまで、33年間服役した。
自分の犯罪を振り返るとき、青春時代に怒りを適切に発散する場がなかったことを思い、「人生とは何なのか分からなかった」とスティーバーさんは話す。
「裁判の証言で『私は生まれつきの殺人者ではありません』と言いました。ある日、目覚めて、『今日は誰かの命を奪おう』と思ったわけではありません。私はそういう人間ではないのです」
「私が犯罪を犯した理由が何かといえば、子どもの頃から人生の方向性が分からず、適切に指導してもらうこともなく、自分のアイデンティティーも持てず、命を大切に思えない子どもだったということです。その全てが積み重なると悲劇的な結果を招くことになりますが、実際にそれが起きてしまったのです」
伝染する力
マリオン刑務所に収監されていたスティーバーさんは、身の安全と共同体意識を得るために、施設内で「アーリア兄弟団」というネオナチのギャングに加わった。
獄中でギャングのメンバーとして10年間過ごしたころ、刑務所伝道団体「カイロス刑務所ミニストリー」(英語)による受刑者向けの「4日間クリスチャン修養会」を通して、ギャングのボスがキリストを知るようになった。
ギャングのボスの中に見られた変化には「伝染する力」があり、それが、スティーバーさんもカイロス刑務所ミニストリーの修養会に参加することを後押しした。
スティーバーさんは生まれて初めて「赦し」という概念を知った。その後間もなく、スティーバーさんはキリストを人生の主、また、救い主として受け入れた。1999年10月31日のことだった。
スティーバーさんは服役中にカインドウェイに協力するようになった。そして、刑務所伝道を通して妻のエイミーさんと出会い、2012年に結婚した。
「他者の人生に神の愛をもたらすことは素晴らしい」とスティーバーさんは語り、カインドウェイを通して、できる限り受刑者の中にキリストの弟子をつくり続けたいと考えている。
「私たちは実際に刑務所伝道を拡大し、誰もが刑務所から社会に出て成功できるよう、社会復帰を助けるミニストリーを始めました」
「私の役割は投獄されている男性や女性のところに行って面会し、彼らが過去を克服する手助けをすることです。そして、彼らが地域社会に復帰できるよう手助けをするのです。一人ずつであっても、自分が変化をもたらしていると思うと、心が安らぐのです」