クリスマスおめでとうございます。
クリスマスは光の祭典といわれていますように、そこかしこでイルミネーションが美しく飾られています。冬の夜に輝く光は特に美しく見えます。マッチ売りの少女のつけるマッチの明りが暗く寒い夜に輝く光景は、周りの暗さが暗ければ暗いほど、明るく輝いて見えるようです。教会でもツリーを飾り、イルミネーションをつけ、キャンドルの火をともし、光をここかしこに付けております。
クリスマスがいつの間にか光の祭典になったのには、深い訳がありました。それは新約聖書のヨハネの福音書の最初のところに記されています。
この方(イエス・キリスト)にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。…すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。(ヨハネの福音書1章4、9節)
クリスマスが光の祭典になったのは、イエス・キリストがすべての人の光として誕生された、という聖書の宣言があるからです。イエス・キリストはすべての人を照らすまことの光、そして、この光は闇の中に輝いている、とはっきりと宣言されています。
鶴田浩二という昔の歌手の歌の中に、「今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」という歌詞があったように記憶しています。闇が深ければ深いだけ、光は明るく強く輝きます。闇というのは心の闇のことだと思います。そして人は誰でも闇の部分を持っていると思います。闇というのは、悲しみであったり、失望であったり、孤独であったり、はたまた、ねたみであったり、憎しみであったり、迷いであったり、疑いであったり、生きることから来るありとあらゆる心の痛みと苦しみを闇という言葉で表現しています。そして、心の闇を経験していないという人はいないでしょう。そんな私たちの人生の中に、イエス・キリストが光をもたらしてくださったということとは、一体どういうことを意味しているのでしょうか。
キリストが光をもたらしてくださったということは、私たちがこの人生を、闇の力に支配されて生きる必要はない、いや、闇に打ち勝つ光が私たちの心を照らしてくれている、ということ。闇の世の中で悲観的になる必要がないということ。どんなにこの世の中が右も左も真っ暗闇であったとしても、キリストと共に生きるなら、そこに「ポッ」と明りがともっている人生を生きることができる、ということの宣言であります。
ニック・ブイチチさんという方のことをお聞きになったことがおありでしょうか。ニックさんはもともとオーストラリアでお生まれになり、現在はアメリカのロサンゼルスで活動していらっしゃいます。すばらしいご本も出版されて、『それでも僕の人生は「希望」でいっぱい』という日本語の題のご本も書いておられます。日系人の女性と結婚されて、世界中の人を励ましていらっしゃいます。
ニックさんは生まれたとき、両手両足がなくて、ご両親もしばらくショックを隠せなかったようです。子どもの頃、学校で激しいいじめに遭って、いっそ死んでしまおうと何度も思ったようです。将来をはかなんで、自分の人生はどうせ結婚もできないし、仕事もできないし、両親に重荷になるばかりの人生を生きて何になる、と考えて、暗闇の中に閉じ込められていた時期がありました。しかし、ご両親の愛情、周りの人々の励まし、そして、何よりもイエス・キリストとの決定的な出会いによって、彼は自分の生きる意味をはっきりと見いだしたのでした。キリストが彼の人生のまことの光となってくれたのでした。
現在、ニックさんはありとあらゆるところで講演活動をしておられます。刑務所でも、学校でも、教会でも、どんなところでも出掛けていって、人々を励まし、勇気付け、希望を与えておられます。今、彼を見る人々は、心が明るくなり、引き上げられ、勇気付けられ、誰でも希望をもって生きていけるという確信が与えられています。ニックさんは、いろんな学校に行って、いじめを撲滅させる講演活動もなさっています。彼が講演に行った学校では、ほとんどのところでいじめが収まったという結果が出ています。
ニックさんは自分が人と違うからこそできることがあるのではないか、ということに目覚めていきました。そして、自分の人生の目標を見つけていったのです。そのために生きる情熱が湧いてきました。自分の経験や考えを人に伝えることが、自分に与えられた人生の目標だと分かってきたのでした。自分には手もない、足もない、そして心配もない、と明るく言っています。
「キリストの中にいのちがあった、このいのちは人の光であった」という聖書の宣言は、すべての人に与えられている神様からの贈り物です。クリスマスとは、この最大の贈り物である神の御子イエス・キリストが私たちに与えられるという、良いおとずれであります。どうしてこれを拒む必要があるでしょうか。
イエス・キリストがユダヤの片田舎のベツレヘムという村でお生まれになったとき、宿にも泊まれず家畜小屋でお生まれになりました。そして、牛や羊の餌箱である飼葉おけの中に寝かされたと聖書に記録されています。そんなイエス・キリストは最後には、何の罪も犯していないにもかかわらず、十字架につけられて殺されてしまいました。しかし、そんなイエス・キリストを神は3日目に死からよみがえらされました。このキリストを信じる人々の心にキリストはお入りになって、その人の人生の光となって導いてくださる、救い主となられました。
今年のクリスマス、このイエス・キリストを心にお迎えしませんか。そして、自らの人生をイエス・キリストのまことの光に照らされつつ、希望を持って、使命にあふれて生きようではありませんか。
一言お祈りいたしましょう。
天の父よ、あなたは、まことの光である世の救い主イエス・キリストを私たちの世界に遣わしてくださいました。そして、誰でも、このお方を信じ受け入れる人には、神様の子どもとなる特権をお与えになり、あなたの愛の光を受けて生きることができるようにしてくださいました。ニック・ブイチチさんの身の上に起きたことが、私たち一人一人の上にも、いろいろな形で起き得ることだということを、あなたは約束してくださいました。どうか、お一人お一人がこのクリスマスの良き日に、イエス・キリストを心の中にお迎えして、まことの光の中を明るく生きてゆく者となることができますように祈ります。
アーメン。
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