今から2年前、公立学校では「父、母」という性差を意識させる呼称を改め「親1号、親2号」という呼称を使用すると定めた修正法案が下院を通過し、世界を驚かせたフランスだが、このほど同国教育省は、“性的中立” を掲げるフランス語表記法の “包括的表記” について、教育現場での使用を全面的に禁止する通達を出した。
この包括的表記とは、フランス語単語の男性形と女性形を同時表記するもので、フェミニストら進歩派が「性的中立」をスローガンに強く推進している。しかし教育省によれば、この包括的表記は子どもたちのフランス語学習に混乱をきたし、学習を妨げるばかりか、この表記では音読することができないため、子どもたちの発音や音読学習にも著しく有害だとして今回の決定に踏み切った。
ナタリー・エリマス上級教育担当国務長官は、包括的表記を「わが国にとって危険」「世界的フランス語の使用に対する死の宣告」と述べ、「包括的表記の普及は、すでに世界言語として準標準化している英語が、確実に、そしておそらく永遠にフランス語を打ち負かすことを意味する」と警告を発した。
この禁止措置に対して、フランス教職員組合のSUDは命令を無視するよう学校側に求めた。SUDは声明の中で「教育界に自分の後進性を押し付けようとするのをやめるよう大臣に要求する」と反発し、さらに学校側には「このような前近代的な指示は一切考慮に入れず、状況に応じて、教育の自由を存分に発揮することを求める」と述べた。
昨今激化しているジェンダー問題は、2001年のオランダにおける同性結婚法制化以降、近年ますます過激化、急進化しているように見える。現バイデン米政権では「心の性は、肉体の性に優先する」として、かつてないほど明確にこの方針を推進しており、女子アスリートの競技記録の歴史が棄損されるなどの大きな問題を巻き起こしている。これにはキリスト教会とて無関係ではなく、むしろ当事者としての様相が強い。
19世紀には世界宣教の牽引役として地球規模的に活躍した長老派やメソジストなどのメインライン教会は、今では同性カップルの挙式にとどまらず、同性カップルに牧師按手礼まで授けており、転落の一途をたどっている。今年最初の米下院議会で開会祈祷を務めた牧師でもある民主党下院議員が「アーメン・アンド・ウーメン(Amen and Women)」などという意味不明な言葉で祈りを締めくくり、“性的中立” をアピールしたのは記憶に新しい。
これらの「この世の流れ」「だましごとの哲学」が、「誤りなき神のことば」を標榜する保守的健全な信仰までをも侵食しつつある。英語聖書として、福音主義信者に世界で最も愛読されていたNIV(新国際訳)は、最新の2011年版において “性的中立” の名目で、逐語訳聖書が決してしてはいけない改変をし、恐れ多くも「神のことば」に、原語にない言葉を加えてその地位を失った。
人間には男女の二性があり、性差がある。これは決して “差別” のためでも “優劣” のためでもなく、そのように人間をお創りになった創造主の御心によるのだ。それぞれには違う機能、違う役割が与えられ、お互いがお互いを補い合い、扶助し、愛の中で実を結ぶように創造主はデザインされた。
使徒パウロは、エペソ書(5:32)において、このように麗しい男女の関係を「私は、キリストと教会とをさして言っているのです」と明言し「この奥義は偉大です」と言い切った。花嫁である教会は、決して花婿なるキリストを指導しないし、教えることもしない、ましてやキリストに権威を執行することもない。そうではなく、キリストこそが花嫁なる教会の頭(かしら)であり、教会を教え、教会を導き、教会を任命し、教会に権威を執行するのだ。
戦後のカウンターカルチャーの席巻によって、この麗しい伝統は破棄され、権威は失墜してしまった。しかも、線引きされるべきこの世の価値観が、キリストの教会や家庭においてさえ侵入し、放置容認されている。世に塩気をもたらし、世に影響を与えるべきキリストの教会が、今ではむしろこの世の霊力の影響下にある。21世紀に入って一層混沌を極めるジェンダー・カオスは、まさにこのような教会の背教のエスカレーションの線上にあるのだ。
聖書的伝統の破壊は、現在西欧において最も著しい。フランスをはじめ、世界中にいる主の僕が、勢の優劣、事の損得にかかわらず、最後まで立つべきところに立ち、守るべきものを守るよう共に祈っていただきたい。
■ フランスの宗教人口
カトリック 57・6%
プロテスタント 2・1%
英国教会 0・03%
ユダヤ教 1・0%
無神論 26・6%
イスラム 10・5%