「これらは、次に来るものの影であって、本体はキリストにあるのです。」
コロサイ人への手紙2章17節
私たちクリスチャンの信仰の目的は、キリスト教(影)ではなく、キリスト(本体)を体験することです。この”本体であるキリストを体験すること”とは、どのようなことでしょうか? “最もキリストを体験したパウロ”が、次のようにローマ人の手紙で言っています。
「神に仕えることに関して、私はキリスト・イエスにあって誇りを持っているのです。 私は、キリストが異邦人を従順にならせるため、この私を用いて成し遂げてくださったこと以外に、何かを話そうなどとはしません。」(15章17,18節)
つまりそれは、“キリストに用いられること”だと言っているのです。キリストが私たちを用いられるとき、“キリストご自身が成し遂げたいことを実現することができる”ので、”最もキリストを体験すること”になるということが、この聖書のことばからわかります。
ではキリストは、このパウロを用いて、何を成し遂げることができたのでしょうか? それは、異邦人をキリスト御自身に従順にならせることができたのです。すなわちキリストがパウロを用いたとき、このパウロを通して、最も多くの人々をキリストご自身に従わせることができたのです。これが、私たちがキリストに用いられるときに、最もキリストを体験することができる理由と、その目的です。
使徒の働きで、伝道旅行を終えたパウロが、エルサレム教会に来て、その伝道に関する報告をしたことが書かれていますが、彼は、次のようにエルサレムの長老たちに報告しました。
「彼らにあいさつしてから、パウロは彼の奉仕を通して神が異邦人の間でなさったことを、一つ一つ話しだした。」(21章19節)
ここでパウロは、エルサレムの教会の長老たちに、“自分の奉仕を通して、神が異邦人の間でなさったこと”、すなわち“成し遂げたことについて”一つ一つ話しだしたのです。パウロが、ここで言っている神が異邦人の間で成し遂げたことこそ、パウロの奉仕、つまりキリストがパウロを用いた結果でした。
このように私たちも、キリストに用いられるとき、キリストが成し遂げたいことが実現することによって、最もキリストを体験できるのです。
ではパウロは、どのようにキリストを体験したのでしょうか? それが、ローマ人の手紙15章18節に続けて書かれています。
「キリストは、ことばと行いにより、また、しるしと不思議をなす力により、さらにまた、御霊の力によって、それを成し遂げてくださいました。」(15章18、19節)
パウロは、キリストが自分自身を用いてくださる事によって、ことばと行いにより、しるしと不思議をなす力により、さらにまた御霊の力によって、キリストを体験しました。ですからパウロが、このようにキリストを体験したことによって、パウロに対する神のみこころが成し遂げられたのです。
まさに神が、キリスト・イエスにおいて、私たち一人一人を招いてくださっている人生とは、私たちが、このキリストを体験することによって、私たちに対する神のみこころが実現することなのです。どうか私たち一人一人が、このパウロにように、"ダイナミックにキリストを体験する人生"を送ることができますように!
◇塩島一男(しおじま かずお)=ホライズン・コミュニティ・チャペル(横浜市南区井土ヶ谷)主任牧師、ホライズン聖書学校講師、JTJ宣教神学校(岸義紘学長)カウンセリング講師