1.「お母さん、お帰りなさい!」
「東京入国管理事務所から呼び出しを受けた時、その場で収監されてミャンマーに強制退去させられると恐れて、身も心も縮む思いでした。必死に祈って入管での面会に臨みました」。
それもそのはず、3ヶ月の観光ビザで日本に入国したEさんは、そのまま帰国せず、不法滞在が15年に及んでいました。ミャンマーのクリスチャン部族・カチン族の女子として生まれたEさんは幼児洗礼を受けた形だけのクリスチャンでしたが、軍事独裁政権と仏教徒グループの迫害が強まる中、先に日本に来ていた妹二人を頼りに来日したのです。難民ビザをめったに出してくれない日本政府の心の狭い態度を知り、違法とは知りつつも滞在を続けざるを得ませんでした。
ある時交通事故で大怪我をして長期間入院しました。顔が変形するほどの火傷を負ったうえに、毎晩眠れないほど体中の痛みが続き、働けないために無収入となり、住んでいたアパートを追い出されました。知人に紹介されてミャンマー伝道に重荷を持つH牧師の教会にころがりこむようにして、助けてもらいました。教会に寝泊りして、毎日聖書を学びながら奉仕をしているうちに、イエス・キリストのすばらしさに目覚め、H牧師から改めて洗礼を授けてもらいました。
その後、聖霊のバプテスマを受け、言葉のハンディがありながらも、按手礼を受けて熱烈な伝道者として立ち上がりました。ところが、H牧師がミャンマー伝道の志し半ばで急逝。その悲しみを乗り越えて、E先生は、H牧師への恩返しとして日本伝道を志し、教会で牧会しながら、新宿の公園にいるホームレスの人たちへの「炊き出し礼拝」を毎週欠かさず継続してきました。
初めのうちは、30人ほどだったのが、次第に数が増え、200人から250人にも及ぶようになりました。情熱的にメッセージを語るE先生は、みんなから、「お母さん」と呼ばれて慕われました。午後3時から始まる公園礼拝を楽しみにして、1時から来て、路上にすわって待つ人たちもいるほどでした。毎週の炊き出しの費用はかなりの額ですが、ほとんどがEさんの二人の妹たちが働いて得たわずかな収入でまかなわれてきました。
「入管法違反の不法滞在者として、あなたを逮捕する!」。ある日突然、警察に連れて行かれたE先生は、入管の拘置所に収監されました。来日して10年目の出来事です。E先生の公園伝道を快く思わない人たちが通報したのです。そのままでは、他の不法滞在者たちと同じように、当然に強制退去です。ミャンマーに帰れば、どんな迫害が待っているかわかりません。周りの人たちが必死に動いて弁護士に依頼し、難民を理由とする異議申立てを法務大臣に提出してもらい、保釈金を積んで4ヶ月半の拘留の後、釈放されました。その間も、公園礼拝は妹たちによって炊き出しと賛美のみで続けられました。
「お母さん、お帰りなさい!」。釈放後初めての礼拝で、みんなから歓迎され、E先生は涙がとまりませんでした。もう二度と会えないのではないかと、みんな心配して祈ってきたのです。「みなさんは私の家族です。私は一生結婚しないで、みなさんの母として仕えていきます!」。Eさんの言葉に、今度はみんなが号泣です。
2.在留特別許可
けれども、行政の壁は厚く、法務大臣への異議申立ては却下されました。強制退去を免れるため、やむを得ず、東京地裁に裁判を提起するも、あえなく敗訴。東京高裁へ控訴するも、またもや敗訴。国との5年の闘争に負けた後の入管からの呼び出しです。十中八九、逮捕、収監、強制退去のコースをたどることが予想されました。もはや絶体絶命です。
「どのように弁明しようか」。恐る恐る係官の前に立ったEさんは、「あなたに一年間の在留特別許可が出ました。一年後に再申請すれば、三年の更新が可能です。更新期間が過ぎた後は、永住許可もしくは日本国籍取得の申請を提出することもできます」と言い渡されて、頭の中が真っ白になってしまったそうです。まさに、地獄から天国への大逆転です!
「一体全体どうして、強制退去にならずに、在留特別許可をもらえたのでしょうか?!」。と聞くと、「政治難民としては認められませんが、あなたは長年にわたって日本のためにとてもよい働きをしてくれたことが、許可が下りた主な理由です」ということです。
法務大臣への異議申立て却下、東京地裁、東京高裁ともに敗訴。行政と司法の判断が確定しているのに在留特別許可が下りるのは、常識ではとても考えられない異例中の異例の措置です。
「神さまが必ず私の日本滞在を認めてくださると信じて祈ってきたつもりでした。でも、現実を恐れて人に助けを求め、多くの方々にご迷惑をかけてしまったことを、心から申し訳なく思っています。また、福音の伝道者なのに不法滞在という違法行為を続けて、クリスチャンとして悪い証をしてしまったことを、深くお詫びしたいと思います」。支援者の一人としての私に経過報告をしてくれたE先生は、こう語っていました。
「いや、形式的には違法だったかも知れませんが、実質的には合法だったのですよ。あなたが正しかったことを、神さまが日本国と人々に認めさせてくださったのです。これほどすばらしい証はありませんよ!E先生、どうもありがとうございました」。「伝道者でありながら違法行為を続けるなんて何事だ!早く自分の国へ帰りなさい!」という律法的な牧師や信徒たちの轟々たる非難や中傷に耐えてきたE先生への、せめてもの慰めのつもりで、私は心から感謝の意を表せざるを得ませんでした。
佐々木満男(ささき・みつお):国際弁護士。宇宙開発、M&A、特許紛争、独禁法事件などなどさまざまな国際的ビジネスにかかわる法律問題に取り組む。また、顧問会社・顧問団体の役員を兼任する。東京大学法学部卒、モナシュ大学法科大学院卒、法学修士(LL.M)。