駒込の山に行って、あの祈祷室で祈って見たい、その夢が実現した。憧れの図書室に初めて入ってみたら、旧制高校時代、ドイツ語教科書、「エッケルマンとの対話 」でゲーテがあまりに絶賛するので、読んでみた「 The Vicar of Wakefield ウェイクフィールドの牧師」が、一番最初に目に入ったので不思議な気がした。終戦後の私が、初めて牧師の姿を本の上で見て、その愛の深さに感動したのはこの本でした。山城先生の宿題に「 義認 」を選び、また青木先生の宿題、「ユダヤ教の分派 」のために相応しい数冊の参考書を借りて、教室に向かった。ーー神学校の先生方は、祈りで始められ、熱く目が醒める様な、福音の情熱をもって語られる。ペンテコストの説教には迫力があって、聴く事の楽しさに時間を忘れる。講義に必要なプリントを配ってでいるのは、いつも最上級の先輩であり、神学校と言う所は、さすが世の中と違って、先輩が後輩のために奉仕するのかと思って感動したが、これだけは思い過ごしであったらしい。この駒込の山に、飢え渇きをもってやって来て、心ひそめて、祈りと学びに満たされれば、ああ、大伝道者になれるかもしれない。
甥のKさん姪のMさんへ(母の法要に私が欠席した事について)
そちらで行われた父母の法要に、私が欠席した事について、A叔母様から、KさんとMさんに、説明する様にと言われましたので、お手紙を送ります。
私は、若いあなた方のする事を、心から祝福しています。近く行われる予定の、兄の法要にはもちろん出席させて戴きます。
KさんとMさんのお母さまには、かねてお知らせ招待しましたが、御欠席の内、去る三月二十六日に母のキリスト教による一年の記念式を鎌倉霊園で行いました。港南シオンキリスト教会から、牧師を含めて十人程と、S、A、Kの叔母様たち、それに私達夫婦が参列しました。其処で神を賛美し、牧師の説教を聴き、母の思い出の話しがなされ、また賛美が歌われました。
同じ母の法要を(父とともに)そちらで仏式で行うとの事でしたが、これに欠席しようと私が決めたわけは、母の葬儀はキリスト教ですでにやったわけなのに(天国に行った母に、あらためて戒名をつけて、三途の河を渡る形式をとる事を、私が反対したのも事実。この件について、お母さまと意見が合わなかったのです。)
ただの慣習として、宗教行事をやって行くのは日本の現実です。それが親孝行と思ってなされる事を思えば、仕方ないと言う気がしないわけではありませんが、ただ母の法要について欠席したのは、私が出席する事によって、結局何でも良いのではないか、と言う神様についての皆様の誤解を招いては、神様に申し訳ない、と思ったからです。
兄、そして父、そして母との関係については、すべて、過日、お母様にお送りした、私と妻の日記、「主イエスとともに 」をお読み下さい。この日記から、きっとKさん達も知らないあなた方の父親(私の兄)の事も書いてあります。
兄の喉頭ガンで、慶応病院の執刀医に、手術中助かる割合は六割であると告げられました。私は、神様に祈りました。その結果(?)兄は十一時間半もの大手術の後、死ぬ事もなく、無事に手術室から出て来ましたが、若い時患った結核の影響で、胸を開ける事が出来ないため、転移防御の手術が出来なかったのは残念でした。それからはご存じの通りです。手術後の兄について、医師は、肺炎になったら駄目だと言われたが、その肺炎になりました。私はこの時、肺炎が癒される様にと祈り、(その結果)叶えられました。肺炎が癒されたら、今度は、血が止まらない病気になりました。今度はそれが癒される様に祈って、その祈りが叶えられると、次に尿が出ない病気になりました。もう駄目かと思われましたが、神様は再三の祈りに応えてこれも癒して下さいました。こうして、兄が退院した時、本当に私は嬉しく思いました。
転移は止められないので、時が経って、「あと三カ月の命であると思うので、会いたい、」と兄が言った時、一日、仕事を休んで会いに行きました。兄と話した事の詳細については、上の本に書いてありますが、牧師も兄のために祈ってくれました。私は兄の臨終に、「お兄さん、神様がそばにいるからね!」、と大きな声で言ったら、兄はこちらを見上げ、大きく目を開けてくれました、だから私は、兄が救われて天国に行ったと思っているのです(聖書には、神様から召される直前でも、キリストを信じれば、天国に行けると書いてあるからです。兄は私が送ったキリスト教のテープを病床で聴いてくれていました。)
母については、二年半、朝夕神様がそばにいて下さいと祈り続けました。姉を助けるため送金しましたが、その別会計のお金が残ってしまったのは残念でした。何よりも仕える姉の労苦に感謝して、姉自身の魂の救いに大きな関心を持っていましたので、母の葬儀がキリスト教で行われた後、姉のために何回か訪問して、聖書の話しを致しました。――これから毎年一度復活祭の日には、教会の人とご一緒に、横浜霊園にある教会の墓地に、母の写真を飾って賛美歌を歌う事になります。
私が思うに、生きている間こそ孝養を尽くさなければ意味がないのです。死んでから集まってお酒を飲むのは、ただ残された者の心の慰めに過ぎません。法事に親戚が集まる意味はあっても、それが死んだ人のためと言う考えは、勝手な考えで、キリスト教にはありません。
今回、関連するために、父の法事についても欠席になってしまう事には、心痛みました。ですから私は、三月末に、鎌倉霊園の父の墓前で沢山のお花を飾って、一人で賛美歌を歌っていたのです。
KさんやMさんが怒っているとK叔母が言いますが、この様な事で、私が何故出席しなかったかをご理解頂けたでしようか。お母さんを大切に労ってあげて下さい。ーー叔父より。
著者:仲嶋正一
【所属教会】
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団 港南シオンキリスト教会(野川悦子牧師)
【略歴】
日本キリスト教団東京天城教会(松本頼仁牧師)にて受洗(1949)
旧制浦和高校理科卒業 (1949)
進駐軍総司令部民事検閲部翻訳 (1949)
東京大学医学部薬学科卒業 (1953)
エイザイ研究所初代研究員
米国コロンビア大学客員研究員 Research Associate (1966ー1969)
星薬科大学及び大学院薬化学教授 (1970−1995)
同大評議員・日本薬学会関東支部幹事・日本植物園協会評議員 等
現在 同大学大学院名誉教授 薬学博士 (東京大学)
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み神を慕いて:仲嶋 正一(著), 仲嶋 啓子(著) 単行本 (2002/07) 文芸社
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