職業病だろうか。「羊飼い」とか「ユダヤ人」「ホロコースト」などのフレーズが並ぶ映画の広告を見ると、どうしても聖書に関わりのある映画を想像してしまう。本作「アーニャは、きっと来る」は、そんなバイアスを良い意味で裏切ってくれる秀作である。
原作はマイケル・モーパーゴ。ユダヤ人たちをかくまい、村挙げて彼らを守り通したという実話を知って小説化した。そして今回、それが映画化されたのである。最近ではスティーブン・スピルバーグが彼の別の作品『戦火の馬』を映画化している。こちらは結構ハードな作品だったが、本作は同じ原作者による作品なのかと目を疑いたくなるような色鮮やかなオープニングで物語は幕を開ける。フランスとスペインの国境ピレネー山脈の大自然が大スクリーンに展開する。決してCGなどではない。監督のベン・クックソンは「すべて本物にこだわった」と語っているが、その言葉に偽りはないようだ。ドイツ兵が持つ銃も決して映画の小道具ではなく、本物の銃を集めたというのだから。
物語は、第2次世界大戦下の1942年。ピレネー山脈で羊飼いの見習いをしている主人公ジョーが、見知らぬ中年男性ベンジャミンと出会うところから始まる。ジョーには野生の熊の出現により、羊と番犬を見捨てて山から下りてしまった経験があった。村人たちに熊のことを伝えたので、結果的に熊は大人たちによって射殺され、羊たちも無事であった。しかし、羊や番犬を置いてきぼりにしてしまった罪責感からか、ジョーは熊と遭遇した現場に立ち戻ってしまう。そこでベンジャミンと出会ったのであった。この冒頭のシークエンスが、後の展開を予感させるとともに、主人公の「成長」を鮮明にする効果を担っている。
やがてベンジャミンがドイツ兵の追跡を逃れてきたユダヤ人であることが分かる。彼の家族は、ベンジャミンの母の家で落ち合うという約束をして、散り散りになってしまったのであった。ジョーは、自分の祖父とベンジャミンの母が知り合いであることを知り、彼らのために町で食料を調達する係を担うことになる。ベンジャミンの家族は6人。大所帯である。毎日袋いっぱいの食材を買い込むジョーの姿は、次第に人々の知るところとなっていく。彼はベンジャミンに尋ねる。「いつスペインへ脱出するのか」と。するとベンジャミンは「もう一人、私には娘がいる。アーニャだ。彼女はきっとここにやって来る。だからそれまで待つんだ」と決意を込めて語ったのであった。
しかしちょうどその頃、この村にもドイツ兵が突如として現れ、村の捜索を開始するのだった。この厳戒態勢の中、アーニャは果たしてこの村までたどり着くことができるのか。ジョーの秘密(ユダヤ人を山にかくまっていること)は露見しないだろうか。そんなハラハラドキドキが中盤まで続く。観る者に緊張を強いる展開である。
観終わって振り返るなら、いわゆる「サウンド・オブ・ミュージック」の音楽祭以後の逃亡展開を2時間に拡大した、ともいえるだろう。また「隠れ家」や「アンネの日記」のようなユダヤ人モノとしての共通要素も多くある。だが本作で最も異色なのは、主人公のジョーとドイツ人将校との疑似父子関係が描かれていることである。ドイツ兵を極悪人として描かず、彼らにも家族があり、再会を楽しみにしながら任務に就いているということがさりげなく挿入されている。こういった展開が、戦後70年以上たった現代社会に住む私たちの心情の表れなのだろう。
主人公のジョーは、後に大人になったという設定で時々モノローグを語る。そして彼は「自分は戦争によって大人にされた」と述懐する。かつて、熊が出たときにすべてを置いてわが身かわいさに逃げ去ってしまった少年時代に別れを告げ、彼は「戦争によって」大人の世界に分け入らざるを得なかったということである。それは、他者のために自らを犠牲にする尊さを獲得したということであり、同時に、皆が幸せになれたらいいという牧歌的なハッピーエンドは現実には起こり得ないと知ることでもある。
観終わって、聖書の次の言葉が胸に去来した。
わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼(おおかみ)が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。(ヨハネ10:11~14)
ジョーは、熊との遭遇で得た教訓を生かし、今度はユダヤ人の家族を助けようと奔走する。まさに「羊飼い」であったジョーは、聖書が語る「良い羊飼い」になろうとするのだ。そしてその思いは、やがて村全体へと波及していく。これが実際にあった出来事というのだから驚きである。
ドイツ兵は狼のような存在として描かれる。かつてのジョーは、偽物の(自分の羊を持たない)羊飼いである。だが困難に遭遇し、そこで大人、すなわち「良い羊飼い」となる。まさに聖書の言葉が私たちに訴えているメッセージそのものである。
だが――。本作は実話に基づいた作品であるからか、残念ながらオールハッピーとはいかない。戦争という現実の刃は、羊たちを、そして羊飼いをも傷つけてしまう。しかしご安心を。ラストには爽やかな感動が待っている。決して暗い気持ちで劇場を後にすることはないだろう。
■ 映画「アーニャは、きっと来る」予告編
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