上映時間189分。これはあの大作「タイタニック」と同じである。そして芸術的な観点から見ても、本作は他の追随を許さない圧倒的な存在感を放っている。まずもって申し上げたい。この映画評を見て、気になった人、そして興味を持った人は、必ず映画館で鑑賞してもらいたい。もし観て損をしたと思うなら、私が代金を補填してもよいと自信を持って言える、今年ナンバーワン候補の作品である。
監督は、ドイツ出身のフロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク。長編初監督作「善き人のためのソナタ」(2006年、以下「ソナタ」)は、第79回アカデミー賞で外国語映画賞(現・国際長編映画賞)を見事にゲットしている。当時、ドナースマルク監督は33歳。まさに新進気鋭の作家性あふれる監督が世に出た瞬間であった。そして本作「ある画家の数奇な運命」は、第91回アカデミー賞で外国語映画賞(同)と撮影賞にノミネートされた。ドイツ語の映画が米国のアカデミー賞に複数部門でノミネートされたのは、ウォルフガング・ペーターゼン監督の「U・ボート」(1981年)以来のことらしい。
「ソナタ」から12年(厳密には、2010年にジョニー・デップとアンジェリーナ・ジョリー主演のリメイク映画「ツーリスト」を監督している)、「ソナタ」の雰囲気そのままに、政治性とサスペンスフルなエンタメ性を見事に融合させたのが本作である。日本では今年の公開となったが、本国ドイツでは2018年に公開されている。「ソナタ」が、最後の最後になってそのタイトルの意味が分かり、潮のように押し寄せる感動に包まれたのに比べ、本作は邦題も原題(Werk ohne Autor 「画家のいない作品」)も、ある程度、物語の行方を予想させる作品となっている。
現代美術界の巨匠とされる芸術家ゲルハルト・リヒター(1932~)の半生にインスパイアされ、「どのエピソードが史実で、どれがフィクションか」を明確にしないという条件で行われたリヒターへのインタビューに基づき、一人の芸術家が自らのスタイルを獲得し、一人前に認められるまでを描いている。
物語の詳細は映画を観れば、誰でも分かる話なので割愛させていただく。ただ、作中で扱っている題材はかなりヘビーなものである。第2次世界大戦下のドイツで、実際にこんなことが水面下で行われていたのか、ということにまず衝撃を受ける。それは「優生学」の実践である。戦時下にあって、障がい者や思想的に偏っている(とナチスが判断した)者たちに対し、人為的な施術によって「悪しき種を刈り取る」ということが行われていたことを赤裸々に描き出している。
これに加え、戦後のドイツ二分の様子、そして東ドイツが次第に思想的に共産主義に傾倒していく様、また対照的に西ドイツでは資本主義が跋扈(ばっこ)し、抜け目なくうまく立ち回る者だけが富を手にするという不条理さが見事に描かれている。
最も恐怖を感じたのは、「優生学」の視点から実際に施術した医師が、過去の罪を問われなくなったとき、また同じ観点から「劣った者=悪しき者」という構図で命を殺(あや)めてしまうシーンである。人はどこまでいっても罪深く、そして真の悔い改めがなければ、どれだけ後悔や慚愧(ざんき)の念を抱いたとしても、喉元過ぎれば熱さを忘れるかのように、また同じ過ちを(今度は過ちであることを認識しながら)平気で行ってしまうものなのだ。
一方、物語が3時間にわたって紡ぎ出すのは、この数奇な運命に翻弄される一人の芸術家志望の青年の人生である。叔母を「優生学」で奪われ、彼女を抹殺する直接的な指示を出した医師の娘と出会い、恋に落ち、義父であるその医師から資金援助を得て美術学校に通うことになる主人公のクルト青年。彼が芸術に打ち込み、「真実はすべて美しい」という叔母の言葉を胸に、キャンバスと葛藤する様は、「数奇な運命」に翻弄される主人公の悲しげな瞳と相まって、見ている私たちに「言わずもがな」の真実を訴え掛けてくる。
当初私は、真相に気付いた青年の義父に対する復讐(ふくしゅう)物語かと思っていた。だが、そうではない。ハリウッド映画なら、そうしたエンタメ性を前面に出した展開となるだろう。だがクルト青年は、あくまでも「何も知らない」。あまりに無垢(むく)で、そして純粋に絵画に向き合うその姿は、一切の俗世的なこだわりを超越した崇高さすら感じさせられる。
だが、物語は意外な結末を迎える。それは決してクルト青年が意図したものではない。だからこれを偶然の出来事と済ませてしまうこともできる。だが、これ以上ない荘厳かつ厳粛なやり方で、結果的にクルト青年は義父への復讐を果たしてしまう。ここに至るまでの3時間だったのか、と監督の意図に気付かされたとき、私はそこに「神」を意識せざるを得なかった。これがセミフィクションであるならなおさらのことである。こんな展開を用意できるのは「神」以外にはあり得ない。
西洋美術史を概観すれば分かることだが、芸術家たちは、各々が神にその作品をささげようと企図していたといわれている。それは彼らの信仰の証しであるともいえるが、見方を変えるなら、そのような作品を神がその芸術家を通して生み出させた、ともいうことができる。映画を観終わって、ふとこんな聖句が頭に浮かんだ。
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。(ローマ12:19)
芸術と神との融合、本作のテーマはそこにある。そして単純な復讐物語では決して味わえない「神による芸術を通しての報復の物語」こそ、本作「ある画家の数奇な運命」である。
ぜひ、一人でも多くの人に鑑賞してもらいたい。
■ 映画「ある画家の数奇な運命」予告編
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