イコニオムでも、ふたりは連れ立ってユダヤ人の会堂に入り、話をすると、ユダヤ人もギリシヤ人も大ぜいの人が信仰に入った。しかし、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人たちをそそのかして、兄弟たちに対し悪意を抱かせた。それでも、ふたりは長らく滞在し、主によって大胆に語った。主は、彼らの手にしるしと不思議なわざを行わせ、御恵みのことばの証明をされた。(使徒14:1~3)
コロナウイルスの状況にあっても、私たちは信仰生活の基本を見つめ直し、7原則を実践しましょう。
神を常に礼拝し賛美する。みことばをしっかり頂き内に蓄える者となる。そして祈りの中で自分の思いをイエスに伝え、また神へ感謝しささげ、奉仕をする。人々へ証しをし、交わりをいよいよ深め、愛する兄弟姉妹のためにも祈りましょう。この夏、信仰生活の原点に立って、大切な要点の一つ一つを押さえて確実に祝福される歩みをしていきたいと思います。
世の中は、コロナと共に生きる道、ウィズコロナを模索していますが、悪いものとの共生は大変難しく楽しくはありません。私たちは、誰と一緒に歩んでいるのでしょうか? クリスチャンである私たちは、ウィズジーザス! イエスと共に歩み前進しましょう!
今日の聖書箇所の中心人物であるパウロとバルナバは2人とも、使徒と呼ばれる立場にありました(使徒14:14)。聖霊が降り教会が誕生した後、迫害によって散らされた人々によって各地に教会が誕生しました。その中心的な伝道の働きを使徒たちが担いました。そして、アンテオケの教会から彼らが派遣され、福音宣教の未開の地イコニオムで、救い主イエスを宣べ伝えたのです。これにより、使徒たちによる本格的な海外伝道が始まりました。この箇所から3つのポイントを押さえておきたいと思います。
1. 伝道旅行はリアルな事実
2人の福音宣教により、大勢の人々が救いの恵みに与(あずか)ると同時に、福音を理解できずに敵意を抱くユダヤ人たちによる迫害も起こりました。彼らの伝道旅行が単なる空想ではなく、リアルな現実だったからです。同じように私たちも、クリスチャンとして素晴らしい恵みを体験すると同時に、家族や人々の救いや、病や経済の必要のために祈っても、反対や、問題が大きくなるように見える状況に遭遇します。それは、リアルな現実だからです。パウロとバルナバは、迫害の中で死さえも覚悟したのです。
2. イエスが共におられる
彼らの伝道旅行はつらいこともたくさんありました。しかし、いつも主キリストが共におられたのでした。「主によって彼らは大胆に語った」のです。彼らが祈るとき、主が彼らを通して「不思議なわざを行わせ」てくださり、病気が癒やされ、悪霊から解放されたのです。この時点では、イエスはすでに昇天され、その姿形は見えないにもかかわらず、イエスが共におられたのです。イエスは人としての姿ではなく聖霊の豊かな働きにより、私たちと共にいてくださるという不思議な事実が起こることを知りたいと思います。
3. 御恵みの言葉の証明をされた
パウロとバルナバの伝道旅行には、「御言葉の証明」という、誰の目にも明らかな癒やし、奇跡の事実が頻発したのです。これが共におられたイエスによって成されたこと、まさにウィズジーザスだと聖書は語っています。3節は、マルコの福音書16章20節と同じ表現で、初代教会の中で、聖霊の働かれる日常を表しており、皆がテーマとしていた信仰の告白だったと考えられています。初代教会のクリスチャンも現代に生きる私たちも共通して持っている信仰告白は「主が共にいてくださる」、このウィズジーザスを体験してまいりましょう。
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