クリスマスの演劇で主役級の役はヨセフさんとマリヤさんです。しかしヨセフの名前は、マタイの福音書でもイエス様誕生の記事が書かれている2章にはありますが、それ以降は出てきません。マリヤさんは所々に出てきますが、使徒の働きの中でイエス様を礼拝している姿が出て後、名前は消えています。
聖書の主人公は、あくまでイエス・キリストなのです。バプテスマのヨハネは、イエス様を伝えた後、自分は消えていきました。私たちクリスチャンが求めるべきお方はただ一人、イエス・キリストです。
それは理屈では分かっていても、人に依存したり、人を求めたりしてイエス様を求めることを忘れてしまうことはないでしょうか。ローマ3章には「神を求める人はいない」とありますが、それが人間の本当の姿です。イエス様を利用するために「イエス様!」と求めることはあっても、イエス様を主として求めてはいないのです。
イエス様を利用するために求めたり、自分が中心にいてイエス様に助けてもらうというような求め方ではなく、イエス様を主として心の中心にお迎えし、この方に仕える僕となることです。自分の人生で自分が主役であるところから、イエス様を主役とすることです。
この世と調子を合わせて生きている方が、波風が立たず、生きやすいでしょう。本気でイエス様に従って生きていこうとしたら、いかに自分がイエス様に仕えていなかったことか示されるでしょう。都合の良いときはイエス様に従うのに、都合が悪くなるとイエス様を追い出し、イエス様から離れていくのです。
イエス様は「自分を捨て、自分の十字架を負ってわたしについて来なさい」と語られました。どんなときにもイエス様に従う生き方です。私たちの人生の主役であり、主である方に仕えながら生きていきましょう。
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